イベント・メディア情報

特別養子縁組 養子縁組

2020.04.03 更新

養子当事者インタビュー③ 「真の意味で子どもの権利を守る制度であるために」【NEW】

<養子当事者インタビュー②>

当事者の声から考える特別養子縁組制度のこれから

 真の意味で子どもの権利を守る制度であるために

特別養子縁組の当事者へのインタビュー、第3回は20歳代前半の男性Mさんです。2歳半のときに乳児院から家庭に迎えられたMさんは、幼少期から聞き分けの良い子どもだったそうですが、父からの厳しい教育や母からの過干渉など、家庭環境はつらいことが多かったと振り返ります。ご自身が両親との関係に悩んだことを、これからの特別養子縁組制度の運用に生かしてほしいという思いで、講演活動もなさっています。これからの特別養子縁組家庭のサポートに何が必要か、当事者の視点で語っていただきました。

(聞き手/ハッピーゆりかごプロジェクト 新田歌奈子)

 

イメージ写真

「実子同様」に育てるという意味

―ご両親とは現在どのようなご関係ですか?

私は大学を卒業して就職し、一人暮らしをしています。実家には年末年始は帰ることにしていますが、普段はほとんど連絡を取りません。私が育ってきた環境は、正直に言って安心できるものではありませんでした。父と母とは今でも折り合えていません。両親は私が特別養子であるということを認めることができないまま、「実子」として育てたかったのだと思います。

特別養子縁組という制度は、あくまで「子どもの権利」を前提に、「実子同様」に育てることができる制度であるはずですが、私の家の場合は、「自分の子どもがほしい」という親のための制度として機能してしまったのだと思います。

2歳を過ぎて乳児院から引き取られました。このことは、後に自分で調べて知ったことで、それまでは自分が養子であることはまったく知らされずに育ちました。周囲にも徹底的に伏せていましたし、母は「自分で産んだ子である」と思い込もうとしていたと感じます。母からも愛情は注がれていたと思いますが、それは過干渉ともいえる形で、私にとっては重苦しいことが多かったです。

父は一日中、私の勉強を指導していました。小学5年生くらいからは、理解できなかったり、間違ったりすると手が飛んできました。その恐怖感は今でも残っていて、友達が私の横で手を動かしただけで、「殴られる」という恐怖でビクビクすることがあります。

17歳のとき、私が勉強の問題が解けなかったことに対する怒りにまかせて、養子であると知らされました。その後、大学生になってから自分で戸籍を辿りました。私のことをサポートしてくださる方にも恵まれ、たいへん感謝しています。入所していた乳児院を訪ねて、職員さんとお話もさせていただきました。

振り返ると、幼少期の私の心の支えは祖父母の存在でした。小さいころから祖父母はとてもかわいがってもらいましたし、従兄弟たちとも仲は良かったです。祖父は他界し、祖母も記憶に困難を抱えていますが、特に祖母のことは大好きです。私の心が深く落ち込んだときも、祖母との思い出、祖母からの愛情が支えとなり、立ち直っていけたと思っています。

特別養子縁組を検討する際、祖父母が反対するケースもあるようですが、私にとって祖父母はかけがえのない存在でしたので、やはり祖父母の積極的な同意がある上で、進めていただきたいと思います。

私のように、両親との葛藤が強くない場合であっても、養子当事者は両親と血縁がないことに葛藤を抱えることはあると思います。そのような時期でも、祖父母に対しては、血縁うんぬんに捉われないで済むことが多いように思います。おじいちゃん、おばあちゃんという、核家族の一歩外にいる距離感で見守ってくれることは、養子当事者にとって貴重です。私自身、近くに祖母がいてくれたおかげで、家族の中で孤立せずに過ごせたと思います。

 特別養子の当事者団体が必要

―養子当事者として情報発信をなさっていますね?

大学生のときに、里子さんの団体でボランティアをしていました。私自身が特別養子だからという理由ではなく、一般のボランティアとしての参加していました。そのときに、里子さんたちには小さいころからこうした場があり、子ども同士のつながりもあり、学校ではない場所で話せる関係が作られている。いいなと思いました。そして、特別養子縁組にもこのような団体があるのだろう、私もその団体に入りたいと思って探してみました。しかし、特別養子の当事者団体はありませんでした。ならば、自分で団体を作りたいと思いました。

私自身も社会的養護を経験した若者の団体にも入っていますが、里親家庭や施設で育った方たちと、特別養子縁組家庭で育った私とでは、悩みの質が異なる部分も多く、同じ当事者団体としては共有しづらい話もあるように感じました。

こうした思いもあって、就職してから、休日を利用して講演活動を始めました。講演活動は、私の特別養子縁組制度に関する考え方や提言を発信すると同時に、特別養子当事者が経験を話すことで、同じ特別養子の方や関係者が集まってくれるのを期待しました。講演会にはこれから養子縁組を考えていらっしゃるご夫婦、養子縁組をなさった親御さん、研究者や支援者の方々など、さまざまな方が参加してくださっています。

イメージ写真


ネガティブキャンペーンはしたくない

―Mさんご自身のご経験をお聞きすると、制度の課題を考えていかなければならないと痛感します。

誤解してほしくないのですが、私自身は特別養子縁組制度のネガティブキャンペーンをしたいわけではないのです。私自身の経験については講演会ではできる限り、言えるところまで公表しています。その経験を伝えることで、これからの制度の運用のあり方を、より良いものにしていただきたい、という目的があってのことです。

当然ながら、私自身がこれまでの生活に不満がなければ、こうしたモチベーションにはならなかったとは思います。かといって、自分の不満を聞いてほしい、愚痴を聞いてほしい、というだけでは、この活動の意味はありません。話を聞いてくださった方から「かわいそうだったね」と思われて終わってしまってはいけない。

そのためには、私が経験してきたことやどのような感情を抱いていたかということを、自分のなかで整理したうえで、問題提起となるような形で伝えていく必要があると考えています。自分の中でも、その整理をするために試行錯誤しましたし、参加申し込みをいただいた方の背景を考慮した話をするために、直前まで資料も練り直しました。

実際、講演会を告知してみると、不妊治療をなさっているご夫婦がたくさんお見えになるということが分かりました。となると、私自身が感情をあらわにするような話し方はなおさら避けなくてはいけないと思いました。

 より良い発信の方法を試行錯誤

―当事者が発信することについて、気を付けていることはありますか?

いま、社会的養護のもとで育った子たちが、発信を始めていることは、とても貴重だと思います。ただし、その発信の仕方は、開催の場所によってもそれぞれ異なります。一つの小規模なサロンの中で発言するだけであれば、ご自分の経験や思いを吐露するだけでも、意味はあると思います。まだまだそれすら少ないのですから。

しかし、一歩踏み込んで、社会的養護の制度や施設の体制をより良く改善していきたいという意図を持って発信していくことも大切です。自分がおかしいと思う部分を変えたい、そのためにはどういう話し方をして、どういう人に伝えていけばよいか、計画を立てて進めていくことが大切だと思います。

私が思うに、若者が自分の子ども時代の経験を話すとき、話す機会を重ねれば重ねるほど、どうしても話を聞いてくれる方の顔色を見ながら、話す内容も変わってくることがあるように思うからです。

私が特別養子の当事者団体を作りたい理由の一つが、何か発信したい人の声が捻じ曲がって伝わらないようにしたい。聞いてくださる方への配慮はあっても、自分の気持ちに嘘はつかないで、脚色はしないで、自分の経験をどう伝えていくのか、ということに関しての方法を団体の中でも一緒に考えていければと思っています。

私自身、話を聞いてほしいというより、話を聞いてくださった方に、より良い制度のために動いてほしいということが、講演会を開く本来の目的です。特別養子縁組制度は、厳密には社会的養護の範疇ではありませんし、家庭に託すことができたという、成功例として捉えられていると思います。しかし、そこで育った子どもの中には、もっと制度がこうあってほしいという声なき声はあると思います。そのことを発信できる人はまだ少ないと思いますので、私が活動を通して発信していきながら、仲間を見つけて、協働していきたいと思っています。

イメージ画像

―ご自分の思いを聞いてくれる方はいましたか?

友達は、私が養子であることを知っても、すごく引くこともなければ、避けるようなこともありませんでした。話も聞いてくれました。とはいえ、友達に家庭での不満を話したとしても、相手も「人の親のことを悪く言いたくない」という気持ちもありますから、すべて理解してもらうのは難しいですよね。

なので、私も友達に家のことを相談することは少なくなりました。「学校に居る時や友達と居るときはその時間を楽しむ、そして家では感情のスイッチをオフにする」という日々が続きました。

それでも、急にいろいろな感情が溢れてきて、混乱しそうなときもありました。そんなときは、その思いを言語化しようと試みました。ノートにどんどん書き留めていきましたが、手書きのスピードが追い付かないと感じることもありました。今もブログなどで思いを発信していますが、内面にはその何倍も言いたいことがあります。こうした思いをどのように自分の中で整理していくか、という作業を常にしています。

―Mさんの幼少期にどういう支援が必要だったと思いますか?

最も大切なのは、やはり対話だと思います。私の両親は特別養子縁組であることも周囲に明かしていないうえに、一般の子育て家庭との交流も薄かったからです。養親同士、あるいは父親同士で何かしら話せる人がいることが大事だと思います。

同じ養親さん同士であれば、他の人には言いにくいこと、例えば「この子を養子だと思いたくない、自分の子だと思いたい」というようなことも打ち明けることができるのではないでしょうか。そこで解決策がすぐに出なくても、聞いてくれる人がいる、聞いてもらえるという環境があれば、自分の中でその気持ちを言語化し、整理していくことができます。そうすることで、いま自分がどのような状態にあるか理解することができる。それができれば、自分がどうなっていきたいかという道筋が見えてくる。そこで初めて、より良く変わっていきたいと思える気がします。

 不妊治療から休息期間を置いてほしい

―養子当事者として、これから養子縁組を考えている方へ必要なサポートは何だと思いますか?

養子縁組を考えているご夫婦は、私の講演会にも来てくださいます。決してハッピーな話だけではないとわかっていてお見えになりますので、養子を迎えた後のさまざまなことを真剣に考えていらっしゃる方々なのだと思います。

それを踏まえて、あえて申し上げたいのは、不妊治療をなさっているご夫婦が、特別養子縁組を検討するという流れが一般的であるように捉えられていますが、不妊治療において生じた心の傷の薬が特別養子縁組、ではいけないような気がします。それはある程度、別問題として捉えることも必要だと思うのです。

不妊治療において、身体的にも、金銭的にも、精神的にも負担を強いられている方が、それについての区切りをつけないまま、特別養子縁組に進んでいかれるのは心配なのです。特別養子縁組に向かう前に、不妊治療の傷をできるだけ癒せる休息期間といいますか、一定の時間が必要だと思います。それは私の母を見てきて切に思うことです。不妊治療の傷を癒す、ある意味で特別養子の子が身代わりのようなり、「実子同様に育つ」という、本来は子どものための制度である特別養子縁組が、実質的にそうではなくなってしまいます。

区切りのつけ方は人それぞれだと思いますが、特別養子縁組は不妊治療の延長線上にあるのではないということを理解していただきたいです。

私は現在、講演会などと並行して、養親さんやこれから特別養子縁組を考えていらっしゃるご夫婦と語り合う時間を設ける活動もしています。私の考えは、私の経験に基づいた個人的なものではありますが、当事者として「養親がこのような考え方をしてくれていたら良かった」ということを、お子さんを迎える前に知っておいていただければと思います。

―児童相談所やあっせん団体でもアセスメントはありますし、研修もありますよね。

もちろん、そうした研修に力を入れていただくことは大切だと思いますが、そこに養子当事者の思いや考察がどこまで反映されているかは再考の余地があると思っています。例えば、真実告知に関しては「3歳になる前までに、少しずつ」ということが定説になっていますが、「それさえやればよい」というような安心材料を提供するだけではないような研修であればよいと思います。

特別養子縁組家庭で育って良かったという当事者は、どういうところが良かったのか、あるいは嫌だと思った人のケースで、親はどのような行動を取っていたのか。私一人の物差しだけでなく、多様な当事者の経験から読み解いていくことが大切ではないでしょうか。

そのためにも、特別養子の当事者の仲間で団体を作り、子どもの立場から、養親さんや制度を作る方々、運用する方々へ届けていくために、活動を継続していきたいと思っています。

インタビューを終えて、、、、

Mさんのご両親は、実子として育て、養子であることを隠し続けようとしたとのことでした。「縁組後に真実告知などの支援があったとしても、うちの親は支援を受けなかっただろう。そういう親には縁組後の支援では遅い。縁組前にしか、養親の気持ちを変えられない」とおっしゃっていたのが印象的でした。縁組前のアセスメントや研修の重要性を改めて認識しました。
特別養子縁組の制度が出来て30年以上が経ちました。そのとき縁組された養子が成人し、自分の言葉で発信することがここ1~2年で増えてきたと感じます。今後、養子当事者の声が制度に反映されることを願います。特別養子縁組は子どものための制度ですから。

(日本財団 新田歌奈子)

2020.04.01 更新

養子当事者インタビュー② 「晴れて成人式を迎えた日、父は涙していました」【NEW】

<養子当事者インタビュー②>

当事者の声から考える特別養子縁組制度のこれから

 晴れて成人式を迎えた日、父は涙していました

特別養子縁組制度の法整備が進み、すべての子どもが家庭で育つことができる取り組みが進むなか、いまだ不足している特別養子縁組家族への情報提供やサポートの拡充が求められています。ハッピーゆりかごプロジェクトでは、養子として育った方々のご経験に耳を傾けることで、そのサポートのあり方を考えていくべく、成人された当事者のインタビューを行いました。

第2回にご登場いただくのは、20歳代前半の女性Nさん。特別養子縁組制度を通して、1歳未満で家庭に迎えられました。落ち着いた家庭環境で、大事に育てられてきたそうです。周囲は自然にも恵まれた環境で、もしご自分が子どもを持ったら「実家で子育てをしたい」と語ります。この春大学を卒業し、社会人となるNさんに生い立ちを振り返っていただきました。

(聞き手/ハッピーゆりかごプロジェクト 新田歌奈子)

 

イメージ写真

赤ちゃんの国からやってきた?

―1歳になる前に乳児院から家庭に迎えられたそうですね。

乳児院にいたときのかすかな記憶が、部分的な画像として残っています。まだ赤ちゃんでゴロゴロしていたと思いますが、訪問してきた人、たぶん両親が私のことを見ていました。父に抱っこされて初めてお家に来た日のこと、お庭にいたワンちゃんに紹介された記憶もあります。

父も母もとてもまじめな人で、私は箱入り娘とでもいうのでしょうか、悪い道に行かないように、大事に、大事に育てられました。今になって「窮屈だったよね、ごめんな」と言われることもあります。でも私からすると、両親と祖父母にやりたいことは何でも叶えてもらって、ほんとうにありがたい思いでいっぱいです。

小さいころから習い事などたくさんさせてくれました。英語、ピアノ、エレクトーン、合唱、空手、テニスなど、私がやりたいこともあれば、親の勧めもありますが、いろいろな経験をさせてくれましたし、語学留学にも行かせてもらえました。習い事や教育だけでなく、母と愛犬と一緒に川の上流まで登ったり、祖母とフキノトウを採りに行ったり、子ども時代はたくさんの思い出があります。

大学に入った4年前に一人暮らしを始めました。実家では子育てがひと段落したことから、1年前から小学校低学年の里子さんをお預かりしています。里子さんの子育てはなかなか大変のようですが、「子どもを支えたい」と行動する両親はすごいなあと改めて感じています。

 ―Nさんを養子として迎えたという真実告知はありましたか?

小さいころから伝えてもらっていました。幼稚園の頃、「赤ちゃんの国から来たんだよ」と言われましたが、抽象的すぎていまひとつピンと来ませんでした。小学校に上がる頃、いつもとは違う、改まった雰囲気で「乳児院という施設から家に来たんだよ」と教えてくれました。そうやって具体的に聞けたことで、理解できました。最初から普通に説明してくれた方がよかったような気がしますが、小さい子には「赤ちゃんの国」と言ったほうが、やわらかく伝わると思ったのでしょうね。

そのときはどんな反応をしていいのかわかりませんでしたが「あなたはお父さんとお母さんの子だからね」としっかり言ってくれたので、「そうなんやな」と、すんなり受け入れました。

真実告知とはいっても、特別養子縁組制度について詳しく説明を受けたわけではないので、後になって「18歳になったらお家を出なくてはいけないのかな?」など、疑問も出てきました。本棚には養子や里子に関する本があったので、開いてみましたが、漢字が多くて読めません。制度の説明なども、子どもだから早いとは思わずに、きちんと伝えてくれるとよいと思います。

いずれにしろ、小学生の頃から、他の子たちとは違う生まれなのだということを認識しました。そのせいなのか、もともとの性格なのかわかりませんが、「周りと同じでなければいけない」とか「合わせなくてはいけない」という感覚はあまりなかったですね。マイペースなタイプでした。

 生い立ちの授業も受けた

―ご近所や学校など、周囲もご存じでしたか?

先生には伝えてありました。小学校2年生のときに、生い立ちの授業があったのですが、先生に呼ばれて「この授業をやっても大丈夫?」と訊かれました。「その時間だけほかの教室に移ることもできるよ」と。私はなんとも思わなかったけれど、大人のほうが心配したり、気を遣ったりしてくれていたようです。赤ちゃんの頃の写真も出せるし、普通に授業を受けました。そのことを後で母に伝えたら、「小さい子に言っても判断できないのに」と、怒っていました。先生から親にも相談してほしかったのかもしれません。

小学校3年生のとき、学校で心理テストのようなものを受けることになりました。自覚がなかったけれど、教室では一人でいることが多かったようなのです。私は一人がさみしいという感覚はなかったのですが、先生としては心配だったのでしょう。

テストでは、質問に答えたり、絵を描いたりしました。「木を描いてください」と言われて、「この表現で何かを診断されるのだろう」と察知して、しっかり木らしく描いたほうがいいかもしれないと思い、木の根っこを大きく、葉がフサフサになるようにイキイキと描きました。

近所の友達は養子であることを知っていたし、そのせいでいじめられることもありませんでした。近所のおばさんからは今でも「あなたが赤ちゃんのとき、私もあなたのおむつをかえてあげたのよ」と懐かしく思い出してくれます。私も普通の親子という感覚で、「養子であることは特別だ」という感じはありませんでした。

 思春期に悩んだのは「自分とは?」

―思春期に入ってからの親御さんとの関係はいかがでしたか?

中学生から高校生の頃は、母とぶつかることが増えました。私は思春期、母は更年期で、お互いにたいへんな時期だったのかなと思います。父とぶつかることはありませんでしたが、亭主関白な感じが、ちょっとイヤだなと思うことはありました。例えば、晩御飯のときに母から「おしょうゆもってきて」と言われて、「なんで、私は使わないよ」というと「お父さん使うから」と。私は「しゃーないな、こういう人とは結婚しないでおこう」と思いましたが(笑)、深刻に対立したことはなかったです。

今思い返せば思春期は病んでいたなあと思う時期も普通にありました。中3くらいですかね、「自分とは?」というアイデンティティについて悩んでいたなと思います。「私がこの思考回路なのは、特別養子で育ったせいなのか、そうではないのか」という堂々巡り。一時期、頭の中と体が追い付かなくなって、体調を崩したこともありました。

その頃、「あまり本心をしゃべらないよね?」と友達から言われたことも原因の一つでした。でも私は「言いたいことが言えない」という自覚はなかったから、どう改善してよいのかわからず、悩みが深まりました。

本心が言えないということは、何かをがまんしていることですよね。私はたぶん、自分がやりたいことはやれていたし、がまんをするほどの欲がなかった気がします。もしあったとしても、「まあいいや」とあきらめが先にきて、言葉に出さなくて終わるタイプなのかもしれません。

 「自分の人生の犠牲者になるな」

―思春期に悩んだとしても、真実告知を受けていてよかったと思いますか?

はい、教えてくれて良かった、マイナスはなかったです。思春期になって知るとか、成人して結婚するときになって知る方がショックなのではないかと想像します。

「自分とは?」と悩み続けた頃、その悩みは自分の出自のこともあったと思いますが、悩んで、悩んで、自分に対して思ったのは「犠牲者ぶっていてはいけない」ということでした。

人それぞれ、さまざまな事情を抱えている。自分の人生が、自分が抱える事情や境遇の犠牲になってはいけない、そう思ったのです。そこから、「自分の人生の犠牲者になるな」と自分に言い聞かせるようになり、いろいろなことが吹っ切れていった気がします。

大人になるにつれ、「ずいぶん、お金かけてもらったかも」と思うようになりました。子ども一人育てるのに2千万円という調査もありますよね? 両親が生きている間に私に恩返しはできるのだろうかと。そんな風なことを話したとき、「お返しなんて、子が親に必要ない」と言われました。

私は一人っ子ですし、介護が必要な時期も来ると思いますが、両親は「貯金しているから、介護のために仕事をやめたり、実家に帰ったりしないで」とも言われています。あと、自分が受けた負担をさせたくないという思いがあるようです。

祖父母たちはさみしがって、帰ってきてほしいとは言われます。祖父が自動車免許を返納したので、送迎などもあてにされているのかと思いますが。就職しても実家には時々帰って、顔を見せたいと思っています。

 養子縁組の家族の会にも参加していた

―養子縁組のご家族に対して何かサポートはありましたか?

あっせん団体が主催する会だったと思いますが、養子縁組家族の会がありました。小さいころから親子で参加していました。親たちが懇談している傍らで、子どもたち同士で一緒に遊んでいて、ケーキ作りやバーベキューなど、レクリエーションも主催者がいろいろ企画してくれていました。年に4回ほど季節ごとに開催されていました。

親同士は子どもが成長しても会を続けていたと思いますが、子どもたちが中学生くらいになると、部活が忙しくなったりして、参加者もだんだん減ってきました。私は高校3年生のときに参加したのが最後でしたね。今なら携帯もあるから、子ども同士で連絡先を交換したかもしれませんが、当時はお互いに連絡を取ることはありませんでした。

それぞれ親元から独立している年齢なので、子どもだけで集まって、お酒飲みながら話してみたいです。私が話題にしたいのは「自分の子育てどうする?」ということ。普通に結婚して子を持ったとしたら、自分の遺伝子を受け継ぐ存在に対してどんな感覚を持つか、どんな期待やどんな心配を持っているのか、聞いてみたいと思います。

もし、グレてしまった子がいたとしたら、ちゃんとグレたからこそ、自分の子育てのときにその経験が生かせるかもしれませんよね。私はそれなりにうまく過ごしてきたから、「自分の子どもがグレたらどうしよう?」なんて、そんなことも考えます。

 小学生の里子との交流

―Nさんと小学生の里子さんは交流があるのですか?

実家に帰ったときは一緒に遊びますよ。「お姉ちゃん」と呼ばれています。きょうだいという意識はないと思いますが。私は赤ちゃんの頃から育てられていて、手はかからなかったようですが、里子さんは幼児期の発達に少し課題があるとのことなので、両親は子育てに苦労しているようです。

里子さんと接していて、私は小さいころから家庭という環境で育つことができたのは、ほんとうにありがたいと思います。家族や親族という関係性も、家族の中で育っていないと感覚的に理解できませんよね。里子さんも1年経った今は、祖父母はこんな存在、いとこはこんな距離感、ということが徐々につかめてきているみたいです。

実は里子を引き受ける話は以前にもありました。私が小学校に上がる前、両親に「きょうだいがほしい」とお願いしたことがあったらしいです。それで、乳児院まで私も一緒に行って、少し相談したらしいのですが、そのときはご縁がなく話が進みませんでした。

その後、東日本大震災が起こった後、親御さんを亡くしたお子さんを受け入れたいと両親から相談されました。でも私は当時、受験を控えてプレッシャーを感じていたので、反対したのです。今回も私に相談してくれました。今回は私も成長したので、賛成しました。これまで私だけに注いでくれたものを、また他の子にも注いであげられたらいいなと思いました。父と母は、ときどき交代で、私のところに息抜きに来るので、子育ての話を聞いてあげています。

 知りたいのは病歴や遺伝子的な情報

―いつかはルーツ探しをしたいですか?

もしそのために動くなら、学生と社会人のはざまに居る、今の時期なのかも知れません。もし両親に相談したら、協力してくれそうな気がします。以前、父がポロっと、「生母さんの名前は知っているよ」と言ったことがあります。そのとき初めて、まだ生きていることを知りました。それ以上は話を深めていいのかわからなかったので、話していません。

今のところ、生みの親に会いたいとは思わないのです。お会いしても「はじめまして」と言う以外、何か話が続くのかなと。生みの親はいるけれど、育ての親が親、それでいいのではないでしょうか。昔話を掘り起こしたところで、特にいいことなさそうな気がします。

知りたいことは、病歴などの遺伝子的なことです。女性ならではの乳がんや子宮がんなど、遺伝しやすい病気があるかどうか。貧血気味なので、体質のことが何かわかったら助かります。それと、美容のことも気になる年頃なので、自分が将来どんな体形になりそうなのか、どんな風に年を重ねそうなのか気になります。会わなくてもいいから、どんな人なのか遠目でも見てみたいとは思います。

 子どもを授かったらぜったい産む

―ご自分とご家族とのこれからについてどんなことを考えていますか?

先日、あっせん団体さんの主催で行われた、成長した養子当事者の方々と食事会に参加しました。赤ちゃん連れの女性は、私と同い年ですでに二人目を出産されたとのことで驚きました。ほとんど初対面の方なので、そんなに深い話はしなかったのですが、行ってよかったです。今後も同じ背景を持つ方とお話しする機会があるといいと思います。

お酒が飲める年齢になってからは、父といろんな話をしながら、一緒に飲むようになりました。成人式の日に一緒にお酒を飲みましたが、「こんなにちゃんと育ってくれて」と涙していました。一生懸命育ててくれていたのだなあと思います。父は最近、飲むとますます涙もろくなったみたいです。

私は将来、結婚して子育てしたいなと思っています。自分の子どもを産んでみたい、自分の遺伝子を共有している存在に会いたい気持ちはありますね。でももし子どもを産むことが叶わなかったとしたら、養子を迎えて子育てしようとまでは思わないかな。そういういう意味で、やはり両親はすごいなと思います。

子どもが生まれたら実家へ帰りたいです。自分が育った環境が気に入っているので、そこで子育てしたい。田舎で何もないところだけど、山にいったり川にいったり、田んぼに言ったり、自然がいっぱいで子育てをするにはとても良い環境です。

同年代の友人たちは、意外と専業主婦願望の子が多いです。「就活やめて婚活する!」なんて。うちの母は専業主婦ではなく、経理職で会社に勤めていました。私を迎えて3か月くらいは休職したそうですが、その後は共働きです。母の影響もあって、高校は企画経営課がある商業高校に進み、経理関係の資格を取りました。私も母のように子育てしながら仕事も続けたいです。

そういえば、成人した頃、何人かの友達に「もし今、妊娠が発覚したらどうする?」という質問をしたことがあります。どうしても聞いてみたかったのです。私はぜったいに産むと思いますが、友達は「子どもをあきらめるかも」という答えのほうが多かったです。そのことを責めるつもりはないですが、成人していても、現実はそうなのかなと考えさせられました。

私は産みたいし、もしそのパートナーと結婚できなくても、実家に頭を下げて協力をお願いします。万が一、自分だけでどうしようもなくなったら、養子縁組に託す選択肢もあるわけです。私はそのことを知っているから、中絶は考えないのだと思います。養子として託しても、子どもはちゃんと幸せになれますから。ほんとうに、幸せになれると思います。

イメージ写真

 

インタビューを終えて、、、、

美容や恋愛話が好きな、ごくごく普通の大学生のNさん。自分が養子であることは小さい頃から知っているけれど、そのことに対してネガティブな感情をお持ちでないご様子でした。
お話した中で、生みの親と会いたいとは思わないけど、既往歴や容姿は知りたい、というお話しが印象的でした。生みの親のプライバシーと子どもの出自を知る権利のバランスについては国によっても考え方が違いますが、今後は日本でも議論を深め、生みの親が情報開示に同意する場合は、情報をきちんと保存し、子どもが望んだときには伝えられる仕組みがあると良いのかとも思いました。

(日本財団 新田歌奈子)

2020.02.20 更新

※開催中止 日本財団共催 SOS子どもの村JAPAN 里親支援のフォーラム2020開催(東京・九州)

2020【開催中止のお知らせ】
新型コロナウイルス感染症の拡大が懸念されております。
当法人が実施を予定している東京・九州フォーラムにつきましても、英国人講師の来日が困難になりつつあること、参加者および関係者の健康・安全面を最優先に再検討した結果、開催を断念することにいたしました。
今後の予定につきましては現時点では未定ですが、開催等決まりましたら改めてSOS子どもの村JAPANのホームページ等でご案内申し上げます。

「登録前・後の研修と里親養育への支援」

 ~安定した里親養育を目指して~

英国で開発された研修プログラムの実践と、子どもの村福岡10年間の養育経験から得られたもの

SOS子どもの村JAPANでは、’’里親養育の質の向上’’ をめざして里親先進国のイギリスから講師を招き3年間にわたりフォーラムを開催してきました。今回のフォーラムを過去3回の総括として位置づけ、イギリスで開発され、日本版導入に向けて準備がすすめられている認定前研修「The Skills to Foster」と、既に18の地域で実施されている委託後研修「フォスタリングチェンジ・プログラム」について改めて紹介するとともに、SOS子どもの村JAPANが運営する「子どもの村福岡」の10年間の里親養育の実践から得られた、「里親養育における課題と必要な支援の在り方」を紹介し、よりよい里親支援についてみなさんと一緒に考えていきます。

主催:認定NPO法人 SOS子どもの村JAPAN
共催:公益財団法人 日本財団
後援:子どもの家庭養育推進官民協議会

[東京フォーラム]
日時:2020年3月17日(火) 13:00~17:00(受付開始12:30)
場所:日本財団 大会議室AB(東京都港区赤坂1丁目2-2 日本財団ビル)

 

[九州フォーラム]
日時:2020年3月19日(木) 13:00~17:00(受付開始12:30)
場所:西南学院百年館(松緑館)(福岡市早良区西新6丁目2-92)

 

参加費 :
早割(2019年12月28日までにお支払の方)
●一般:3,000円  ●支援会員:1,000円

通常(2020年1月7日~3月10日までにお支払の方)
●一般:4,000円  ●支援会員:1,000円

※2019年12月29日~2020年1月6日の期間は、受付を休止致します。
※お申し込み後の参加費の払い戻しはできません。
ただし、諸事情による開催中止の場合には、別途ご案内させていただきます。
※事前に請求書が必要な方は、参加申込み後に届く自動返信メールに詳細の説明がございます。
まずは参加申込み手続きをお済ませください。

2019.05.16 更新

5月30日 「子どもの家庭養育推進官民協議会 シンポジウム」を開催いたします

「子どもの家庭養育推進官民協議会」では、平成30年度事業として、フォスタリングマークの発表と普及啓発、国への政策提言の実施や里親制度推進を目的とした研修の開催、参加団体のイベントの後援など幅広い活動を行ってまいりました。令和元年は下記のとおり総会に併せ講演会を開催します。日本財団はこの協議会に加盟しており、里親・特別養子縁組の推進に取り組んでおります。

■主催:子どもの家庭養育推進官民協議会
■日時:2019年5月30日(木)14時00分~16時00分
■場所:東京都港区赤坂1-2-2 日本財団ビル2F
■参加費:無料
■定員:100名(事前申し込みが必要です)
■内容:
講演会および活動報告 14:00~16:00
14:00~14:45 講演会:テーマ「子どものアドボケイトの導入に向けて」
講師 久佐賀 眞理先生
(児童養護学園シオン園施設長)
指定発言 社会的養護の当事者(スピーカー調整中)
14:45~15:30 加盟団体からの活動報告
15:30~15:45 表彰式(フォスタリングマーク 制作者)
15:45~16:00 政策提言の発表および提出
厚生労働省コメント
写真撮影
閉会挨拶 15:50~15:55

以下のメールアドレスに
1)参加者のお名前 2)所属団体 3)メールアドレスをお送り下さい。
申し込み締め切り:2019年5月29日(水)

問い合わせ先:子どもの家庭養育推進官民協議会事務局
E-mail : kanmin.jimukyoku(a)gmail.com ※(a)を@に変えてご使用ください。

2019.01.08 更新

奥山眞紀子先生インタビュー「ようやく子どもの世界にも革命が起こせた」

<シリーズ・児童福祉の新時代へ>
~社会的養護の歴史的転換「新しい社会的養育のビジョン」の実現へ向けて~

「ようやく子どもの世界にも革命が起こせた」

成育医療センター こころの診療部 統括部長/日本子ども虐待防止学会理事長
奥山眞紀子先生インタビュー

平成28年6月に改正された児童福祉法の大きなポイントは、子どもが権利の主体として位置づけられたことです。これは大きな視点の転換であり、「革命的」とも評される改正でした。翌年の平成29年8月には『新しい社会的養育のビジョン』が発表され、改正児童福祉法の具体的な実践に向けての方向性が示されました。この新ビジョンの中心執筆者である奥山眞紀子先生は、長年に渡り、小児精神科医として臨床の現場で親子に寄り添いつつ、アタッチメント等の研究、子どもの虐待問題にも取り組んでこられました。今回、改めて新ビジョンのご執筆に至る経緯、その中に込めた知見と思い、そして子どもの成長に責任を持つ私たち大人がどう考えて、どう行動していくことが大切なのか、お話をお聞きしました。

(聞き手/日本財団 国内事業開発チーム チームリーダー 高橋恵里子)

◇留学先のアメリカで児童虐待問題を学ぶ

――奥山先生が社会的養護のお子さんたちと関わりを持たれたのはいつ頃ですか?

1990年の始め頃からですね。大学生のころは心理的な分野を志していましたが、実家が小児科医だったこともあり、精神科ではなくまずは小児科に入りました。当時の日本は主に不登校が問題視されており、子ども虐待については大きく取り上げられることは少なかったです。その後、1986年にアメリカへ留学しましたが、あちらでは子ども虐待が大問題になっており、私が入ったボストンのタフツ大学付属病院でも、チャイルド・セクシャル・アビューズ(子どもへの性的虐待)の問題に取り組んでいました。最初はアメリカの問題と思ったのですが、関わるうちに、日本でも潜在的に起きているであろうと推察しました。

1990年に帰国して埼玉県立小児医療センター付属大宮小児保健センターに勤め始め、その翌年からは、大規模な児童養護施設内の小児科クリニックに勤務して、こころの診療を行うことになりました。そこは児童養護施設の職員さんとお子さんを対象に、午後のみ診療するクリニックです。このときから、社会的養護の子どもたちとの関わりが始まりました。
同じ頃、東京に子どもの虐待防止センターが設立され、そこで熱心に取り組んでいた先輩のからの誘いで、虐待防止センターの活動にも関わるようになりました。1年後には『埼玉子どもを虐待から守る会』を民間団体(現在はNPO法人)として立ち上げて、医療者としてアメリカで学んだことの啓発も含め、地域での虐待防止活動に取り組んできました。

――児童養護施設に併設されたクリニックでのお子さんたちのご様子はいかがでしたか?

児童養護施設に関わって驚いたのは、子どもたちの多くが虐待を受けて施設入所しており、対応が難しい精神状態であるにもかかわらず、職員さんたちが「普通の子」として扱おうとしていたことです。女性の職員さんの中には「この子の親になりたいけれど、そうしてあげられない」というジレンマを抱えている人もいましたし、「みんな平等に扱う、特別扱いはしない」という方針も見えました。
これはアプローチの仕方が違うのではないかと疑問に思いました。私としては、子どもたちの背景を踏まえた接し方、親ではなく養育のプロなることが大事だと思っていました。しかし、職員さんたちはプロとして研鑽を積むような余裕もなく、次から次へと入所する子のお世話で精一杯のようでした。当時は施設の小規模化の必要性も考えられていませんでしたし、とりあえず最低基準ギリギリで運営しているという状況だったと思います。そうしたなかで、施設内の子ども同士のセクシャルな問題も含めて問題は山積みでした。
職員が少しずつ増員されて、虐待対応ができる心理職、ファミリーソーシャルワーカーなどの専門的役割を担う職員も配置されるようになったのは、2000年を過ぎてからだったと思います。
私が特に気がかりだったのが、乳児院から引き続いて児童養護施設に入所するお子さんたちの様子です。現在の乳児院ではアタッチメント(愛着関係)を念頭に置いた接し方がなされているとは思いますが、当時の私が関わった施設では、幼児と特定の大人の「一対一の関係」は、ほとんど作られていませんでした。お風呂も食事も流れ作業のような状態でしたし、乳児院から赤ちゃんを連れてきた保育士さんに「担当のお子さん?」と訊いても「うちは担当制ではないです」と答えます。
そうなると、全員ではありませんが、まったくアタッチメント形成ができていないお子さんも出てくる。そうした子たちは、大きな困難を抱えていました。

――どのような困難さがあるのでしょうか?

アタッチメントが作られていないと、心から安心できる愛着対象と一緒にいることができる枠組み、その子にとっての「安全基地」がないため、無謀な行動をとってしまうのです。他人を求めるのですが、信頼できないというジレンマを抱え、周囲が不快になったりどうしてよいかわからない接し方しかできず、ぶつかることも多くなったり、自分をコントロールできずにかっとなると燃え上がってしまう傾向があったりします。

家庭に居れば、親子関係がたとえ不完全であったとしても、アタッチメント形成そのものはあるわけです。子どもを叩くのは良くありませんし、体罰はなくしていくべき大きな課題ですが、少なくとも育児をするなかで、一対一の関係性があって起きてくることです。私は虐待をする親のところに居るより施設に居た方がいいと思っていましたが、そうとは言えないケースもあると考えるようになりました。

アタッチメントについて継続して調査したミネソタ大学の研究では「unavailable mother(対応してくれない母)」という言い方がされていましたが、そのような子どものニーズに応えてくれない親に育てられた子どもの予後がもっとも悪いという結果だったのです。

◇精神医学の分野でもアタッチメントが主流に

――精神医学の分野でアタッチメントが重視されるようになったのはいつ頃ですか?

アタッチメントが国際的に主流になってきたのは90年代半ばからです。それまで精神医学の主流であった精神分析は、心の中を解釈するだけで実証はできませんでした。アタッチメントは実証的に捉えていくことができたため、研究者もそちらに流れる動きがあり、国際的にも重視されるようになりました。悲しい出来事として、チャウセスク孤児院問題があります。ルーマニアのチャウセスク政権下で「産めよ増やせよ」計画があり、その結果家庭で養育しきれない子どもが大勢出て、ストリートチルドレンや劣悪な孤児院の増加があり、多くの放置された子どもたちがいたことに、チャウセスク政権が倒れてルーマニアに入った西側の国々の人々が気づきました。その子どもたちの状態は、高度のアタッチメント障害で、1960年代に実験がなされた隔離猿(餌だけ与えて関係性をはく奪して育てたサル)と同じような状態だったのです。初期には国際養子縁組などが行われましたが、その後、現地で良い養育を行えるように、「ブカレスト早期介入計画(Bucharest Early Intervention Project: BEIP)」がなされ、施設より家庭が良いことが実証されました。

それらの影響もあり、低年齢の子どもには一対一の人間関係を築ける家庭が必要であることが常識となっていったのです。10年以上前の国際子ども虐待防止学会(ISPCAN)で、アタッチメントの話題の際に、質問するつもりで、「日本にはベビーホームがあって…」という話を始めると、「それは、あってはいけない」と、一蹴されてしまいました。

日本では、被虐待児のトラウマの研究家でもある西澤哲先生(山梨県立大学教授)とも協働する中で虐待を受けた子どもは「トラウマとアタッチメントの両方が問題だ」という議論をしたものです。また、日本総合愛育研究(現日本子ども家庭総合研究所)にいらした里親養育の識者である故・庄司順一先生とも「一対一の関わりができない養育は不適切である」と話し合いました。社会事業大学長でいらした故・髙橋重宏先生や90年代の半ばに厚生省の児童福祉専門官であった故・栃尾勲さん、みなさんお亡くなりになってしまいましたが、今でも覚えているのは、既に1990年代の半ばに「子どもたちはすべて施設ではなく里親養育に移行すべき」とその3人がおっしゃっていたことです。「日本でそんなことができるの?」と問う私に口を揃えて「やるんだよ」とのことでした。

私自身は、アメリカ留学時代に里親の困難さも目の当たりにしていました。当時はもっとも酷い時期で、虐待を受けた子どもは実親と離されて里親に預けられ、その里親家庭で年長の里子からの虐待が起きていました。複数の里親をたらい回しにされる「フォスター・ドリフト」も問題視されていました。アメリカはこの後、パーマンネンシー(永続的なつながり)を重要視して、養子縁組の方にシフトしていくことになりましたが。

とはいえ、日本に帰国して施設の状況がわかると、決して施設の方がいいとは思えません。「どうにかしなくては、でもどうすればいいのかわからない」という思いを抱えながらも、小児精神科の医師として親子の診療の現場で、施設で育ってお母さんになった方と、患者と医師としてお会いすることがあると、やはり家庭で育つことの重要性を突き付けられるのです。

――そこから家庭養護の方向に向かっていかれたのですか?

90年代から虐待の問題にかかわってきた私たち虐待対応第一世代にとっては、2000年に児童虐待の防止等に関する法律(以下、防止法)が施行されたことは大きな進展でした。防止法の附則に3年後の見直しがあったことから、厚労省で対応する委員会が立ち上がりました。その中でも社会的養護の委員会は、その見直し後も継続されることになりました。

そのときすでに、「施設の小規模・地域分散化、里親養育を中心にして施設本体はそのサポートに回るべきである」という構図は描かれていました。この時点で、現在の新ビジョンの方向性はできていたとも言えます。

並行して、国際的な家庭養護への流れもありました。イギリスや大陸の方は、ややゆったりと施設から家庭へと移行していったのですが、アメリカでは施設ではだめだとして、一気に里親に移行した。それはそれで、先ほど述べたような里親ドリフトが増えるなどの問題もありました。アメリカでは1997年に「Adoption and Safe Families Act」という法律ができ、親子の再統合を目指しつつ、養子縁組も検討するなどの、子どものパーマネンシーを最優先させる動きになりました。

ただし、日本では家庭養護へ大きくシフトする流れは起きなかったことが、先ほど申したような国際的な場で批判を受けることにもなりました。

◇2016年児童福祉法改正から「新ビジョン」へ

――改正児童福祉法につながる専門委員会から、奥山先生は関わってこられました。新ビジョンのとりまとめに至るまではどのような流れだったのですか?

2015年の9月に『新たな子ども家庭福祉に関する専門委員会』ができて、当時の塩崎泰久厚労大臣が「虐待問題も大きくなり、子どもと家庭をめぐる状況も多様化、複雑化している。子どものためには何としても児童福祉法の抜本改正が必要だと思う。この委員会で方向性を示ししてほしい」と、おっしゃったのです。

委員会のコアメンバーでたたき台を作り、グループごとにディスカッションし、12月までに方向性を示し、3月に報告書が出て、法案が国会に提出されて5月に国会を通りました。この間はとても密度の濃い期間でしたね。

※日本財団も児童福祉法改正にあたっては、乳幼児は原則家庭養護とすることと、特別養子縁組を推進することを盛り込んでほしいとオンラインで署名を呼びかけました。結果として1万7千人の署名が集まり、それを塩崎前厚生労働大臣にお届けしました。

その後、児童福祉法改正により、政治的なところでの区切りがついたと思っておりましたら、再び塩崎先生が国会でお約束をした、『新たな社会的養育の在り方に関する検討会』という、新ビジョンに至る検討会を構成するということでお声がかかりました。単に法律の条文があるだけでは、現場がどう動いてよいのかわかりませんから、法律改正の考え方を理念化し、具体的にどのように運用していくかというテキストが求められたのです。

全体をまとめるこの検討会以外に、『司法関与』と『特別養子縁組』の検討会、そして『子ども家庭福祉人材の専門性確保』と『市区町村の支援業務のあり方について』のワーキンググループが進められました。

私は法改正が終わった後に、ビジョンの検討会が始まったことで、塩崎先生は我々子どもの専門家以上に「子どものために変える」という信念をお持ちだということが伝わり、心打たれました。また「改革のためにはここが重要だ」というポイントを捉えてのご発言と行動には敬服しています。

さらに申せば、識者の声、現場の声もお聞きになりつつ、「それが本当に子どもに向き合っていることなのか、子どものためになるはどうすればいいか」を第一義的に考えていらっしゃる。「当事者は誰なのか、それは子どもである」ところに立脚し、常にそこから離れない姿勢。いま振り返ると、私が申し上げるのはおこがましいかもしれませんが、「子どものために」という意味で働かせていただいた「同志」のような気がしています。

2018年9月の日本財団主催シンポジウム「全ての子に愛ある家庭を」で登壇する奥山先生

ようやく「子どもの権利」を明確に記せた

――新ビジョンのとりまとめを果たされたときの、奥山先生の言葉が印象に残っています。

「ようやく子どもの世界にも革命が起こせた」と申しましたね。「革命」とは、子どもが守られる立場ではなく、「子どもが権利の主体である」こと、つまり子どもそのものに権利があることを明確化したことを指しています。

フランス革命に始まる市民革命は、市民が権利を得るための革命でした。大人は自分で権利を獲得できますが、子どもが権利の主体であることを明確にするためには、認識も含めて大人が変わり、大人が変えなくてはならないのです。

日本が『子どもの権利条約』に批准したのは1994年でした。しかし、それを担保する法律はできなかった。2000年に虐待防止法に関わったときも、私は「権利」という言葉を入れて欲しかったけど叶いませんでした。ようやく、子どもの権利を法律に記すことができました。

――日本では「子どもの権利」ということ自体が伝わりにくいのかもしれません。

そもそもの権利意識がなじまないのでしょうね。歴史を振り返っても、日本には市民革命が起きていません。上から与えられたものばかりです。市民革命を通ってきた国は、「自分たちが勝ち取った権利なのだから、大切にする」という意識があります。

新ビジョンでも、「日本に住む子どもは、どこに住んでも同じ権利を持っている。それを保証するためにすべての地域で実行する必要がある」ことを訴えていますが、行政では「地域の実情に応じて」という話になってきます。それでは、ごまかしではないでしょうか。住むところが違うだけで、権利が保障されないことはあってはならないのです。

そもそも、弱者の権利を考えたとき、日本では女性の権利の保障ですらおぼつかない。言いだしたら切りがありませんが、いずれにしろ、子どもに権利があるのだということ、権利をないがしろにしたり、ただ大人本位でかわいがったりするのではなく、権利の主体であることを認識することが大事。その中に、「家庭で育つ権利」もあるのです。

『新ビジョン』が発表されたときには、7年以内に就学前の子どもの里親委託率を75%以上にするなどの数値目標が取りざたされましたが、子どもの権利が根底にあっての里親委託なのです。数値目標についても、やはり目標がないと進みませんから、掲げる必要はあるのです。

――家庭養育への流れについては、日本はガラパゴスであったと評する方もいらっしゃいますが。実際に福岡市では、赤ちゃんの里親にターゲットを絞って民間機関と連携したリクルートを行い、3歳未満の里親委託率はすでに50%を超えていますね。

そういう意味では、ガラパゴスだったのでしょう。ただし、後発隊の良さがあります。他国は何年もかけてそこに辿りついたわけです。不要な迷走をせずとも、海外の事例を参考にしながら、日本にとってより良い形を作ることができます。例えば、一気に施設を開放し、「フォスターケア(里親養育)へ」と動いてしまうと、非常に混乱してしまいます。そこは海外の経験を踏まえて、フォスタリング機関をきちんと作り、そこを中心にチームケアができるような形にしていくことができます。

◇社会的養育とは「育児の社会化」を示している

――新ビジョンは「社会的養育」という言葉が表題にもなっていますが、これが意味するところは?

法改正から新ビジョンに至るまでの流れは、狭義の「社会的養護」を発端としていますが、ここを解決しようと目指すとき、広い意味で「日本の養育をどうしていくのか」という視座が必要になったのです。

本来、子どもの養育は家の中だけでなく、社会が子どもを育てるのだという「育児の社会化」が必要だということは、以前から言われ続けてきました。その点では、「介護の社会化」はある程度できてきて、かつては家の中だけでしていた介護を、社会で介護をする方向になりました。

一方、育児はその負担も責任もすべて家庭の中に背負わせています。とはいえ、現実社会の方は必要性に迫られて一部は進んでいます。保育園、がそうです。昔は「保育に欠ける家のため」の保育園でしたが、今では一般のご家庭が保育園に預けていますよね。

社会的養護の問題を解決するためには、日本が「社会全体でより良い養育をする」というポピュレーションアプローチ(全体としてリスクを下げていくという健康保健分野の考え方)が必要で、それは「社会的養育」と呼ぶべきでしょう、ということになりました。

それはつまり、保育園も社会的養育であるし、地域の子育て支援も社会的養育であるし、なかでも困難な養育環境にあるご家庭には、社会が強くサポートする「社会的養護」も社会的養育の中の一つである、という位置づけです。

この概念整理のなかで「社会的養護」には、親と分離する必要のあるお子さんが、里親や施設で育つ「代替養育」と、実家庭にいながら社会が子育てを強くサポートする「在宅措置」があるということも新ビジョンのなかで示しています。厳密に言えば、社会的養護の定義は在宅措置を含むことを強調する形に変わったのです。

――つまり、『新ビジョン』は特定の困難を抱えた家族だけでなく、多くの子育て世代に伝えたいことなのですね。

本来はそうあって欲しいのです。家で子どもをみている家庭への支援、妊婦さんへの支援も必要であって、その一部として社会が強い責任持たなくてはいけないグループが、「社会的養護」である、ということです。

イギリスにおける『インケア』という考え方に近い。最終的に自立支援を考えたときに、インケアという考え方をしておけば、自立支援は現在施設にいる子どもの支援だけでなく、家庭での在宅措置で福祉司指導を受けたお子さんたちの自立支援も考える必要があります。その部分も社会の責任として担っていこう、ということです。

◇民間と行政が一緒に「子育ての地域づくり」を

――社会的養育を良いものにしていくためには、どのような地域社会が、個々人の意識が必要ですか?

子どもにやさしい社会、子どもにやさしい地域は、誰にとってもやさしい地域ではないでしょうか。それぞれの地域の中で、子どもが大切にされるような取り組みがあることが大事だと思います。そのためには、民間も行政も一緒なって、地域づくりに取り組んで欲しいです。

前述の市町村のワーキングの中で提示された、「子ども家庭総合支援拠点設置要綱」や大改訂された「市区町村子ども家庭支援指針」には具体的に支援の在り方が提示されていますし、地域づくりの重要性も記載されています。支援拠点を作り、そこが中心になって地域づくりをして、子ども家庭をサポートできるようにする。それこそ、各地域にすでにある保育施設などの社会資源と地続きで、工夫して作っていってくださるといいと思います。

――最後に、奥山先生がこれから取り組みたいことをお聞かせください。

これからも子どもたちにつきあっていく、ということですね。近年の児童精神科では、ともすれば「症状だけから診断して、投薬治療をする」ことが中心となっている傾向があります。私は、親御さんやお子さんと対話をしながら、その子の一生のことを考えながら、寄り添っていくような治療をしていきたいと思っています。医療者として、家庭の問題や親子関係の問題などにもコミットしながら、その知見を踏まえて、地域で困っている方々とも関わっていければと思います。

私の関係する地域でも新しく児童相談所を作る計画がスタートしており、そこでも話し合いに参加します。『新ビジョン』を世に出した一人として全体を見守りつつ、地域の一員としてもサポートをしていくつもりです。

――まだまだご活躍ください。本日は貴重なお話をありがとうございました。

新しい社会的養育ビジョン(厚生労働省)
https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-11901000-Koyoukintoujidoukateikyoku-Soumuka/0000173888.pdf
子どもの権利条約について(ユニセフ)
https://www.unicef.or.jp/kodomo/kenri/syo1-8.htm