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特別養子縁組 養子縁組

2020.04.03 更新

養子当事者インタビュー③ 「真の意味で子どもの権利を守る制度であるために」【NEW】

<養子当事者インタビュー②>

当事者の声から考える特別養子縁組制度のこれから

 真の意味で子どもの権利を守る制度であるために

特別養子縁組の当事者へのインタビュー、第3回は20歳代前半の男性Mさんです。2歳半のときに乳児院から家庭に迎えられたMさんは、幼少期から聞き分けの良い子どもだったそうですが、父からの厳しい教育や母からの過干渉など、家庭環境はつらいことが多かったと振り返ります。ご自身が両親との関係に悩んだことを、これからの特別養子縁組制度の運用に生かしてほしいという思いで、講演活動もなさっています。これからの特別養子縁組家庭のサポートに何が必要か、当事者の視点で語っていただきました。

(聞き手/ハッピーゆりかごプロジェクト 新田歌奈子)

 

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「実子同様」に育てるという意味

―ご両親とは現在どのようなご関係ですか?

私は大学を卒業して就職し、一人暮らしをしています。実家には年末年始は帰ることにしていますが、普段はほとんど連絡を取りません。私が育ってきた環境は、正直に言って安心できるものではありませんでした。父と母とは今でも折り合えていません。両親は私が特別養子であるということを認めることができないまま、「実子」として育てたかったのだと思います。

特別養子縁組という制度は、あくまで「子どもの権利」を前提に、「実子同様」に育てることができる制度であるはずですが、私の家の場合は、「自分の子どもがほしい」という親のための制度として機能してしまったのだと思います。

2歳を過ぎて乳児院から引き取られました。このことは、後に自分で調べて知ったことで、それまでは自分が養子であることはまったく知らされずに育ちました。周囲にも徹底的に伏せていましたし、母は「自分で産んだ子である」と思い込もうとしていたと感じます。母からも愛情は注がれていたと思いますが、それは過干渉ともいえる形で、私にとっては重苦しいことが多かったです。

父は一日中、私の勉強を指導していました。小学5年生くらいからは、理解できなかったり、間違ったりすると手が飛んできました。その恐怖感は今でも残っていて、友達が私の横で手を動かしただけで、「殴られる」という恐怖でビクビクすることがあります。

17歳のとき、私が勉強の問題が解けなかったことに対する怒りにまかせて、養子であると知らされました。その後、大学生になってから自分で戸籍を辿りました。私のことをサポートしてくださる方にも恵まれ、たいへん感謝しています。入所していた乳児院を訪ねて、職員さんとお話もさせていただきました。

振り返ると、幼少期の私の心の支えは祖父母の存在でした。小さいころから祖父母はとてもかわいがってもらいましたし、従兄弟たちとも仲は良かったです。祖父は他界し、祖母も記憶に困難を抱えていますが、特に祖母のことは大好きです。私の心が深く落ち込んだときも、祖母との思い出、祖母からの愛情が支えとなり、立ち直っていけたと思っています。

特別養子縁組を検討する際、祖父母が反対するケースもあるようですが、私にとって祖父母はかけがえのない存在でしたので、やはり祖父母の積極的な同意がある上で、進めていただきたいと思います。

私のように、両親との葛藤が強くない場合であっても、養子当事者は両親と血縁がないことに葛藤を抱えることはあると思います。そのような時期でも、祖父母に対しては、血縁うんぬんに捉われないで済むことが多いように思います。おじいちゃん、おばあちゃんという、核家族の一歩外にいる距離感で見守ってくれることは、養子当事者にとって貴重です。私自身、近くに祖母がいてくれたおかげで、家族の中で孤立せずに過ごせたと思います。

 特別養子の当事者団体が必要

―養子当事者として情報発信をなさっていますね?

大学生のときに、里子さんの団体でボランティアをしていました。私自身が特別養子だからという理由ではなく、一般のボランティアとしての参加していました。そのときに、里子さんたちには小さいころからこうした場があり、子ども同士のつながりもあり、学校ではない場所で話せる関係が作られている。いいなと思いました。そして、特別養子縁組にもこのような団体があるのだろう、私もその団体に入りたいと思って探してみました。しかし、特別養子の当事者団体はありませんでした。ならば、自分で団体を作りたいと思いました。

私自身も社会的養護を経験した若者の団体にも入っていますが、里親家庭や施設で育った方たちと、特別養子縁組家庭で育った私とでは、悩みの質が異なる部分も多く、同じ当事者団体としては共有しづらい話もあるように感じました。

こうした思いもあって、就職してから、休日を利用して講演活動を始めました。講演活動は、私の特別養子縁組制度に関する考え方や提言を発信すると同時に、特別養子当事者が経験を話すことで、同じ特別養子の方や関係者が集まってくれるのを期待しました。講演会にはこれから養子縁組を考えていらっしゃるご夫婦、養子縁組をなさった親御さん、研究者や支援者の方々など、さまざまな方が参加してくださっています。

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ネガティブキャンペーンはしたくない

―Mさんご自身のご経験をお聞きすると、制度の課題を考えていかなければならないと痛感します。

誤解してほしくないのですが、私自身は特別養子縁組制度のネガティブキャンペーンをしたいわけではないのです。私自身の経験については講演会ではできる限り、言えるところまで公表しています。その経験を伝えることで、これからの制度の運用のあり方を、より良いものにしていただきたい、という目的があってのことです。

当然ながら、私自身がこれまでの生活に不満がなければ、こうしたモチベーションにはならなかったとは思います。かといって、自分の不満を聞いてほしい、愚痴を聞いてほしい、というだけでは、この活動の意味はありません。話を聞いてくださった方から「かわいそうだったね」と思われて終わってしまってはいけない。

そのためには、私が経験してきたことやどのような感情を抱いていたかということを、自分のなかで整理したうえで、問題提起となるような形で伝えていく必要があると考えています。自分の中でも、その整理をするために試行錯誤しましたし、参加申し込みをいただいた方の背景を考慮した話をするために、直前まで資料も練り直しました。

実際、講演会を告知してみると、不妊治療をなさっているご夫婦がたくさんお見えになるということが分かりました。となると、私自身が感情をあらわにするような話し方はなおさら避けなくてはいけないと思いました。

 より良い発信の方法を試行錯誤

―当事者が発信することについて、気を付けていることはありますか?

いま、社会的養護のもとで育った子たちが、発信を始めていることは、とても貴重だと思います。ただし、その発信の仕方は、開催の場所によってもそれぞれ異なります。一つの小規模なサロンの中で発言するだけであれば、ご自分の経験や思いを吐露するだけでも、意味はあると思います。まだまだそれすら少ないのですから。

しかし、一歩踏み込んで、社会的養護の制度や施設の体制をより良く改善していきたいという意図を持って発信していくことも大切です。自分がおかしいと思う部分を変えたい、そのためにはどういう話し方をして、どういう人に伝えていけばよいか、計画を立てて進めていくことが大切だと思います。

私が思うに、若者が自分の子ども時代の経験を話すとき、話す機会を重ねれば重ねるほど、どうしても話を聞いてくれる方の顔色を見ながら、話す内容も変わってくることがあるように思うからです。

私が特別養子の当事者団体を作りたい理由の一つが、何か発信したい人の声が捻じ曲がって伝わらないようにしたい。聞いてくださる方への配慮はあっても、自分の気持ちに嘘はつかないで、脚色はしないで、自分の経験をどう伝えていくのか、ということに関しての方法を団体の中でも一緒に考えていければと思っています。

私自身、話を聞いてほしいというより、話を聞いてくださった方に、より良い制度のために動いてほしいということが、講演会を開く本来の目的です。特別養子縁組制度は、厳密には社会的養護の範疇ではありませんし、家庭に託すことができたという、成功例として捉えられていると思います。しかし、そこで育った子どもの中には、もっと制度がこうあってほしいという声なき声はあると思います。そのことを発信できる人はまだ少ないと思いますので、私が活動を通して発信していきながら、仲間を見つけて、協働していきたいと思っています。

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―ご自分の思いを聞いてくれる方はいましたか?

友達は、私が養子であることを知っても、すごく引くこともなければ、避けるようなこともありませんでした。話も聞いてくれました。とはいえ、友達に家庭での不満を話したとしても、相手も「人の親のことを悪く言いたくない」という気持ちもありますから、すべて理解してもらうのは難しいですよね。

なので、私も友達に家のことを相談することは少なくなりました。「学校に居る時や友達と居るときはその時間を楽しむ、そして家では感情のスイッチをオフにする」という日々が続きました。

それでも、急にいろいろな感情が溢れてきて、混乱しそうなときもありました。そんなときは、その思いを言語化しようと試みました。ノートにどんどん書き留めていきましたが、手書きのスピードが追い付かないと感じることもありました。今もブログなどで思いを発信していますが、内面にはその何倍も言いたいことがあります。こうした思いをどのように自分の中で整理していくか、という作業を常にしています。

―Mさんの幼少期にどういう支援が必要だったと思いますか?

最も大切なのは、やはり対話だと思います。私の両親は特別養子縁組であることも周囲に明かしていないうえに、一般の子育て家庭との交流も薄かったからです。養親同士、あるいは父親同士で何かしら話せる人がいることが大事だと思います。

同じ養親さん同士であれば、他の人には言いにくいこと、例えば「この子を養子だと思いたくない、自分の子だと思いたい」というようなことも打ち明けることができるのではないでしょうか。そこで解決策がすぐに出なくても、聞いてくれる人がいる、聞いてもらえるという環境があれば、自分の中でその気持ちを言語化し、整理していくことができます。そうすることで、いま自分がどのような状態にあるか理解することができる。それができれば、自分がどうなっていきたいかという道筋が見えてくる。そこで初めて、より良く変わっていきたいと思える気がします。

 不妊治療から休息期間を置いてほしい

―養子当事者として、これから養子縁組を考えている方へ必要なサポートは何だと思いますか?

養子縁組を考えているご夫婦は、私の講演会にも来てくださいます。決してハッピーな話だけではないとわかっていてお見えになりますので、養子を迎えた後のさまざまなことを真剣に考えていらっしゃる方々なのだと思います。

それを踏まえて、あえて申し上げたいのは、不妊治療をなさっているご夫婦が、特別養子縁組を検討するという流れが一般的であるように捉えられていますが、不妊治療において生じた心の傷の薬が特別養子縁組、ではいけないような気がします。それはある程度、別問題として捉えることも必要だと思うのです。

不妊治療において、身体的にも、金銭的にも、精神的にも負担を強いられている方が、それについての区切りをつけないまま、特別養子縁組に進んでいかれるのは心配なのです。特別養子縁組に向かう前に、不妊治療の傷をできるだけ癒せる休息期間といいますか、一定の時間が必要だと思います。それは私の母を見てきて切に思うことです。不妊治療の傷を癒す、ある意味で特別養子の子が身代わりのようなり、「実子同様に育つ」という、本来は子どものための制度である特別養子縁組が、実質的にそうではなくなってしまいます。

区切りのつけ方は人それぞれだと思いますが、特別養子縁組は不妊治療の延長線上にあるのではないということを理解していただきたいです。

私は現在、講演会などと並行して、養親さんやこれから特別養子縁組を考えていらっしゃるご夫婦と語り合う時間を設ける活動もしています。私の考えは、私の経験に基づいた個人的なものではありますが、当事者として「養親がこのような考え方をしてくれていたら良かった」ということを、お子さんを迎える前に知っておいていただければと思います。

―児童相談所やあっせん団体でもアセスメントはありますし、研修もありますよね。

もちろん、そうした研修に力を入れていただくことは大切だと思いますが、そこに養子当事者の思いや考察がどこまで反映されているかは再考の余地があると思っています。例えば、真実告知に関しては「3歳になる前までに、少しずつ」ということが定説になっていますが、「それさえやればよい」というような安心材料を提供するだけではないような研修であればよいと思います。

特別養子縁組家庭で育って良かったという当事者は、どういうところが良かったのか、あるいは嫌だと思った人のケースで、親はどのような行動を取っていたのか。私一人の物差しだけでなく、多様な当事者の経験から読み解いていくことが大切ではないでしょうか。

そのためにも、特別養子の当事者の仲間で団体を作り、子どもの立場から、養親さんや制度を作る方々、運用する方々へ届けていくために、活動を継続していきたいと思っています。

インタビューを終えて、、、、

Mさんのご両親は、実子として育て、養子であることを隠し続けようとしたとのことでした。「縁組後に真実告知などの支援があったとしても、うちの親は支援を受けなかっただろう。そういう親には縁組後の支援では遅い。縁組前にしか、養親の気持ちを変えられない」とおっしゃっていたのが印象的でした。縁組前のアセスメントや研修の重要性を改めて認識しました。
特別養子縁組の制度が出来て30年以上が経ちました。そのとき縁組された養子が成人し、自分の言葉で発信することがここ1~2年で増えてきたと感じます。今後、養子当事者の声が制度に反映されることを願います。特別養子縁組は子どものための制度ですから。

(日本財団 新田歌奈子)

2020.04.01 更新

養子当事者インタビュー② 「晴れて成人式を迎えた日、父は涙していました」【NEW】

<養子当事者インタビュー②>

当事者の声から考える特別養子縁組制度のこれから

 晴れて成人式を迎えた日、父は涙していました

特別養子縁組制度の法整備が進み、すべての子どもが家庭で育つことができる取り組みが進むなか、いまだ不足している特別養子縁組家族への情報提供やサポートの拡充が求められています。ハッピーゆりかごプロジェクトでは、養子として育った方々のご経験に耳を傾けることで、そのサポートのあり方を考えていくべく、成人された当事者のインタビューを行いました。

第2回にご登場いただくのは、20歳代前半の女性Nさん。特別養子縁組制度を通して、1歳未満で家庭に迎えられました。落ち着いた家庭環境で、大事に育てられてきたそうです。周囲は自然にも恵まれた環境で、もしご自分が子どもを持ったら「実家で子育てをしたい」と語ります。この春大学を卒業し、社会人となるNさんに生い立ちを振り返っていただきました。

(聞き手/ハッピーゆりかごプロジェクト 新田歌奈子)

 

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赤ちゃんの国からやってきた?

―1歳になる前に乳児院から家庭に迎えられたそうですね。

乳児院にいたときのかすかな記憶が、部分的な画像として残っています。まだ赤ちゃんでゴロゴロしていたと思いますが、訪問してきた人、たぶん両親が私のことを見ていました。父に抱っこされて初めてお家に来た日のこと、お庭にいたワンちゃんに紹介された記憶もあります。

父も母もとてもまじめな人で、私は箱入り娘とでもいうのでしょうか、悪い道に行かないように、大事に、大事に育てられました。今になって「窮屈だったよね、ごめんな」と言われることもあります。でも私からすると、両親と祖父母にやりたいことは何でも叶えてもらって、ほんとうにありがたい思いでいっぱいです。

小さいころから習い事などたくさんさせてくれました。英語、ピアノ、エレクトーン、合唱、空手、テニスなど、私がやりたいこともあれば、親の勧めもありますが、いろいろな経験をさせてくれましたし、語学留学にも行かせてもらえました。習い事や教育だけでなく、母と愛犬と一緒に川の上流まで登ったり、祖母とフキノトウを採りに行ったり、子ども時代はたくさんの思い出があります。

大学に入った4年前に一人暮らしを始めました。実家では子育てがひと段落したことから、1年前から小学校低学年の里子さんをお預かりしています。里子さんの子育てはなかなか大変のようですが、「子どもを支えたい」と行動する両親はすごいなあと改めて感じています。

 ―Nさんを養子として迎えたという真実告知はありましたか?

小さいころから伝えてもらっていました。幼稚園の頃、「赤ちゃんの国から来たんだよ」と言われましたが、抽象的すぎていまひとつピンと来ませんでした。小学校に上がる頃、いつもとは違う、改まった雰囲気で「乳児院という施設から家に来たんだよ」と教えてくれました。そうやって具体的に聞けたことで、理解できました。最初から普通に説明してくれた方がよかったような気がしますが、小さい子には「赤ちゃんの国」と言ったほうが、やわらかく伝わると思ったのでしょうね。

そのときはどんな反応をしていいのかわかりませんでしたが「あなたはお父さんとお母さんの子だからね」としっかり言ってくれたので、「そうなんやな」と、すんなり受け入れました。

真実告知とはいっても、特別養子縁組制度について詳しく説明を受けたわけではないので、後になって「18歳になったらお家を出なくてはいけないのかな?」など、疑問も出てきました。本棚には養子や里子に関する本があったので、開いてみましたが、漢字が多くて読めません。制度の説明なども、子どもだから早いとは思わずに、きちんと伝えてくれるとよいと思います。

いずれにしろ、小学生の頃から、他の子たちとは違う生まれなのだということを認識しました。そのせいなのか、もともとの性格なのかわかりませんが、「周りと同じでなければいけない」とか「合わせなくてはいけない」という感覚はあまりなかったですね。マイペースなタイプでした。

 生い立ちの授業も受けた

―ご近所や学校など、周囲もご存じでしたか?

先生には伝えてありました。小学校2年生のときに、生い立ちの授業があったのですが、先生に呼ばれて「この授業をやっても大丈夫?」と訊かれました。「その時間だけほかの教室に移ることもできるよ」と。私はなんとも思わなかったけれど、大人のほうが心配したり、気を遣ったりしてくれていたようです。赤ちゃんの頃の写真も出せるし、普通に授業を受けました。そのことを後で母に伝えたら、「小さい子に言っても判断できないのに」と、怒っていました。先生から親にも相談してほしかったのかもしれません。

小学校3年生のとき、学校で心理テストのようなものを受けることになりました。自覚がなかったけれど、教室では一人でいることが多かったようなのです。私は一人がさみしいという感覚はなかったのですが、先生としては心配だったのでしょう。

テストでは、質問に答えたり、絵を描いたりしました。「木を描いてください」と言われて、「この表現で何かを診断されるのだろう」と察知して、しっかり木らしく描いたほうがいいかもしれないと思い、木の根っこを大きく、葉がフサフサになるようにイキイキと描きました。

近所の友達は養子であることを知っていたし、そのせいでいじめられることもありませんでした。近所のおばさんからは今でも「あなたが赤ちゃんのとき、私もあなたのおむつをかえてあげたのよ」と懐かしく思い出してくれます。私も普通の親子という感覚で、「養子であることは特別だ」という感じはありませんでした。

 思春期に悩んだのは「自分とは?」

―思春期に入ってからの親御さんとの関係はいかがでしたか?

中学生から高校生の頃は、母とぶつかることが増えました。私は思春期、母は更年期で、お互いにたいへんな時期だったのかなと思います。父とぶつかることはありませんでしたが、亭主関白な感じが、ちょっとイヤだなと思うことはありました。例えば、晩御飯のときに母から「おしょうゆもってきて」と言われて、「なんで、私は使わないよ」というと「お父さん使うから」と。私は「しゃーないな、こういう人とは結婚しないでおこう」と思いましたが(笑)、深刻に対立したことはなかったです。

今思い返せば思春期は病んでいたなあと思う時期も普通にありました。中3くらいですかね、「自分とは?」というアイデンティティについて悩んでいたなと思います。「私がこの思考回路なのは、特別養子で育ったせいなのか、そうではないのか」という堂々巡り。一時期、頭の中と体が追い付かなくなって、体調を崩したこともありました。

その頃、「あまり本心をしゃべらないよね?」と友達から言われたことも原因の一つでした。でも私は「言いたいことが言えない」という自覚はなかったから、どう改善してよいのかわからず、悩みが深まりました。

本心が言えないということは、何かをがまんしていることですよね。私はたぶん、自分がやりたいことはやれていたし、がまんをするほどの欲がなかった気がします。もしあったとしても、「まあいいや」とあきらめが先にきて、言葉に出さなくて終わるタイプなのかもしれません。

 「自分の人生の犠牲者になるな」

―思春期に悩んだとしても、真実告知を受けていてよかったと思いますか?

はい、教えてくれて良かった、マイナスはなかったです。思春期になって知るとか、成人して結婚するときになって知る方がショックなのではないかと想像します。

「自分とは?」と悩み続けた頃、その悩みは自分の出自のこともあったと思いますが、悩んで、悩んで、自分に対して思ったのは「犠牲者ぶっていてはいけない」ということでした。

人それぞれ、さまざまな事情を抱えている。自分の人生が、自分が抱える事情や境遇の犠牲になってはいけない、そう思ったのです。そこから、「自分の人生の犠牲者になるな」と自分に言い聞かせるようになり、いろいろなことが吹っ切れていった気がします。

大人になるにつれ、「ずいぶん、お金かけてもらったかも」と思うようになりました。子ども一人育てるのに2千万円という調査もありますよね? 両親が生きている間に私に恩返しはできるのだろうかと。そんな風なことを話したとき、「お返しなんて、子が親に必要ない」と言われました。

私は一人っ子ですし、介護が必要な時期も来ると思いますが、両親は「貯金しているから、介護のために仕事をやめたり、実家に帰ったりしないで」とも言われています。あと、自分が受けた負担をさせたくないという思いがあるようです。

祖父母たちはさみしがって、帰ってきてほしいとは言われます。祖父が自動車免許を返納したので、送迎などもあてにされているのかと思いますが。就職しても実家には時々帰って、顔を見せたいと思っています。

 養子縁組の家族の会にも参加していた

―養子縁組のご家族に対して何かサポートはありましたか?

あっせん団体が主催する会だったと思いますが、養子縁組家族の会がありました。小さいころから親子で参加していました。親たちが懇談している傍らで、子どもたち同士で一緒に遊んでいて、ケーキ作りやバーベキューなど、レクリエーションも主催者がいろいろ企画してくれていました。年に4回ほど季節ごとに開催されていました。

親同士は子どもが成長しても会を続けていたと思いますが、子どもたちが中学生くらいになると、部活が忙しくなったりして、参加者もだんだん減ってきました。私は高校3年生のときに参加したのが最後でしたね。今なら携帯もあるから、子ども同士で連絡先を交換したかもしれませんが、当時はお互いに連絡を取ることはありませんでした。

それぞれ親元から独立している年齢なので、子どもだけで集まって、お酒飲みながら話してみたいです。私が話題にしたいのは「自分の子育てどうする?」ということ。普通に結婚して子を持ったとしたら、自分の遺伝子を受け継ぐ存在に対してどんな感覚を持つか、どんな期待やどんな心配を持っているのか、聞いてみたいと思います。

もし、グレてしまった子がいたとしたら、ちゃんとグレたからこそ、自分の子育てのときにその経験が生かせるかもしれませんよね。私はそれなりにうまく過ごしてきたから、「自分の子どもがグレたらどうしよう?」なんて、そんなことも考えます。

 小学生の里子との交流

―Nさんと小学生の里子さんは交流があるのですか?

実家に帰ったときは一緒に遊びますよ。「お姉ちゃん」と呼ばれています。きょうだいという意識はないと思いますが。私は赤ちゃんの頃から育てられていて、手はかからなかったようですが、里子さんは幼児期の発達に少し課題があるとのことなので、両親は子育てに苦労しているようです。

里子さんと接していて、私は小さいころから家庭という環境で育つことができたのは、ほんとうにありがたいと思います。家族や親族という関係性も、家族の中で育っていないと感覚的に理解できませんよね。里子さんも1年経った今は、祖父母はこんな存在、いとこはこんな距離感、ということが徐々につかめてきているみたいです。

実は里子を引き受ける話は以前にもありました。私が小学校に上がる前、両親に「きょうだいがほしい」とお願いしたことがあったらしいです。それで、乳児院まで私も一緒に行って、少し相談したらしいのですが、そのときはご縁がなく話が進みませんでした。

その後、東日本大震災が起こった後、親御さんを亡くしたお子さんを受け入れたいと両親から相談されました。でも私は当時、受験を控えてプレッシャーを感じていたので、反対したのです。今回も私に相談してくれました。今回は私も成長したので、賛成しました。これまで私だけに注いでくれたものを、また他の子にも注いであげられたらいいなと思いました。父と母は、ときどき交代で、私のところに息抜きに来るので、子育ての話を聞いてあげています。

 知りたいのは病歴や遺伝子的な情報

―いつかはルーツ探しをしたいですか?

もしそのために動くなら、学生と社会人のはざまに居る、今の時期なのかも知れません。もし両親に相談したら、協力してくれそうな気がします。以前、父がポロっと、「生母さんの名前は知っているよ」と言ったことがあります。そのとき初めて、まだ生きていることを知りました。それ以上は話を深めていいのかわからなかったので、話していません。

今のところ、生みの親に会いたいとは思わないのです。お会いしても「はじめまして」と言う以外、何か話が続くのかなと。生みの親はいるけれど、育ての親が親、それでいいのではないでしょうか。昔話を掘り起こしたところで、特にいいことなさそうな気がします。

知りたいことは、病歴などの遺伝子的なことです。女性ならではの乳がんや子宮がんなど、遺伝しやすい病気があるかどうか。貧血気味なので、体質のことが何かわかったら助かります。それと、美容のことも気になる年頃なので、自分が将来どんな体形になりそうなのか、どんな風に年を重ねそうなのか気になります。会わなくてもいいから、どんな人なのか遠目でも見てみたいとは思います。

 子どもを授かったらぜったい産む

―ご自分とご家族とのこれからについてどんなことを考えていますか?

先日、あっせん団体さんの主催で行われた、成長した養子当事者の方々と食事会に参加しました。赤ちゃん連れの女性は、私と同い年ですでに二人目を出産されたとのことで驚きました。ほとんど初対面の方なので、そんなに深い話はしなかったのですが、行ってよかったです。今後も同じ背景を持つ方とお話しする機会があるといいと思います。

お酒が飲める年齢になってからは、父といろんな話をしながら、一緒に飲むようになりました。成人式の日に一緒にお酒を飲みましたが、「こんなにちゃんと育ってくれて」と涙していました。一生懸命育ててくれていたのだなあと思います。父は最近、飲むとますます涙もろくなったみたいです。

私は将来、結婚して子育てしたいなと思っています。自分の子どもを産んでみたい、自分の遺伝子を共有している存在に会いたい気持ちはありますね。でももし子どもを産むことが叶わなかったとしたら、養子を迎えて子育てしようとまでは思わないかな。そういういう意味で、やはり両親はすごいなと思います。

子どもが生まれたら実家へ帰りたいです。自分が育った環境が気に入っているので、そこで子育てしたい。田舎で何もないところだけど、山にいったり川にいったり、田んぼに言ったり、自然がいっぱいで子育てをするにはとても良い環境です。

同年代の友人たちは、意外と専業主婦願望の子が多いです。「就活やめて婚活する!」なんて。うちの母は専業主婦ではなく、経理職で会社に勤めていました。私を迎えて3か月くらいは休職したそうですが、その後は共働きです。母の影響もあって、高校は企画経営課がある商業高校に進み、経理関係の資格を取りました。私も母のように子育てしながら仕事も続けたいです。

そういえば、成人した頃、何人かの友達に「もし今、妊娠が発覚したらどうする?」という質問をしたことがあります。どうしても聞いてみたかったのです。私はぜったいに産むと思いますが、友達は「子どもをあきらめるかも」という答えのほうが多かったです。そのことを責めるつもりはないですが、成人していても、現実はそうなのかなと考えさせられました。

私は産みたいし、もしそのパートナーと結婚できなくても、実家に頭を下げて協力をお願いします。万が一、自分だけでどうしようもなくなったら、養子縁組に託す選択肢もあるわけです。私はそのことを知っているから、中絶は考えないのだと思います。養子として託しても、子どもはちゃんと幸せになれますから。ほんとうに、幸せになれると思います。

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インタビューを終えて、、、、

美容や恋愛話が好きな、ごくごく普通の大学生のNさん。自分が養子であることは小さい頃から知っているけれど、そのことに対してネガティブな感情をお持ちでないご様子でした。
お話した中で、生みの親と会いたいとは思わないけど、既往歴や容姿は知りたい、というお話しが印象的でした。生みの親のプライバシーと子どもの出自を知る権利のバランスについては国によっても考え方が違いますが、今後は日本でも議論を深め、生みの親が情報開示に同意する場合は、情報をきちんと保存し、子どもが望んだときには伝えられる仕組みがあると良いのかとも思いました。

(日本財団 新田歌奈子)

2020.03.30 更新

養子当事者インタビュー①「家庭の中で育った幸せ、家庭を築けた感謝」【NEW】

<養子当事者インタビュー①>

当事者の声から考える特別養子縁組制度のこれから

 家庭の中で育った幸せ、家庭を築けた感謝

特別養子縁組制度については、2016年の児童福祉法改正により家庭養護として優先的に選択されていくとされ、2019年の民法改正により対象者が拡大されるなど、ここ数年で大きく変化しています。一方で、特別養子縁組家族への情報提供やサポートはまだ不足しており、一層の拡充が求められています。その際には、当事者の声を聞きながら進めていくこと、とりわけ養子当事者として育った方々のご経験に耳を傾けることは大切なことです。こうしたなか、ハッピーゆりかごプロジェクトでは養子として家庭に迎えられ、成長された当事者のインタビューを行いました。
第1回にご登場いただく40歳代後半の女性Kさんは、特別養子縁組制度ができる以前に普通養子縁組で家庭に迎えられました。養親からの真実告知はなく、高校生になって自ら調査して知ったそうです。現在はご自分のお子さんも成長され、ご両親をサポートすることで恩返しをしたいと語るKさん。これまでのご経験をお話しいただきました。
(聞き手/ハッピーゆりかごプロジェクト 新田歌奈子)

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養子であることを隠されて育った

―現在のご家族のことについて教えてください。

両親(養親)は年を取りましたが、今のところ元気で過ごしてくれています。私は20代で結婚し、二人の子どもに恵まれ、その子どもたちも高校生、大学生になりました。振り返ると、親子関係でいろいろな出来事がありましたが、今は老いていく両親を支え、最期まで見送りたいと思っています。

―小さいころのことからお聞かせいただけますか?

1歳のときに普通養子縁組で両親の元に来たと戸籍に書いてありました。養子であることは知らされずに育ちましたが、高校生のときに自分で戸籍を調べて知りました。私を迎える前、母はお腹に詰め物をして妊娠を装ったり、引っ越しをしたりと、周囲に知られないように準備していたようです。親戚は知っていましたが、普通に“姪っ子”としてかわいがってくれていました。

両親は早くに結婚したものの、10年間不妊だったようで、祖父母からの「子育てを経験したほうがいい」という助言もあって、30代半ばに児童相談所を訪ねたようです。現在の特別養子縁組制度は「子どもの利益」が大前提ですが、普通養子縁組で私が迎えらえた時代は、「将来は面倒もみてほしいから女の子がいい」「発達の遅れがないか確認してから引き取りたい」という親側の希望も聞いてもらえたそうです。その希望に叶うのが私だったということでしょうね。乳児院ではとても大人しい、手のかからない子だったと聞いています。家庭に引き取られてからは、表情が豊かになり、本来の活発さが表れてきたようです。

 ―何かを秘密にされていると感じたことはありましたか?

小学生の頃、「ちょっと普通と違うのかな」と思ったことはあります。お友達同士で「私はお父さんに似ている」とか、そんな話をしますよね。仲のいい子から悪気なく「お父さんにもお母さんにもあまり似ていないね」と言われていました。

確かに、顔もあまり似ていないし、性格も違う気がしました。両親は慎重で細かいところもありました。父はいつも優しい人、一方で母は厳しかったです。「きちんと育てなくてはいけない」という思いが人一倍強かったのだと思います。自由奔放で元気いっぱいの私に手を焼いていたことでしょう。よく叱られたものですが、それでも私は母のことが大好きでした。

小学校高学年の頃、風邪で病院を受診した際、受付のガラス越しに自分の保険証が見えました。そこに「養女」と書いてありました。帰宅してすぐにその意味を辞書で調べ、「えっ?」とびっくりしましたが、「何かの間違いだろう」と思い込むようにしました。日頃から保険証は私に見られないように隠してあったため、確認はできませんでした。

両親は私を育てることにいつも一生懸命でしたから、大切にされているという実感はあったのですが、よく夫婦喧嘩をしていたのがつらかった。私のことが原因と思える喧嘩もあり、両親が口をきかない間はずっと憂鬱でした。

中学生になって思春期に入ると、親と衝突することも増えてくるし、成長するにつれて体つきも違ってきました。「やはり“そう”なのかもしれない」と疑心暗鬼になりながらも、親に直接聞くことはできませんでした。役所に行って確かめるのも怖かった。でも本当のことを知りたい。その頃、高校生になったら調べに行こうと思っていました。

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一人で役所に戸籍を調べに行った

―それを本当に行動に移したのですか?

高校一年生になってから、一人で役所に行きました。まず居住地の役所で住民票を確認して、事実を知りました。予想はしていたものの、ショックで……。その日は役所からまっすぐ自宅に帰ることができませんでした。夜に帰宅すると、両親は食事を済ませていて、私の分のカレーが用意されていたのですが、「私はこの家でごはんを食べていいのかな」という気持ちがこみ上げてきました。これまで私にしてくれたこと、私が両親にしてしまったことを思い出し、泣きながら食べたカレーは、まったく味がしませんでした。その夜は自室で声を殺して泣きました。

養子である事実を知っても、両親の前では平静を装って生活し、きちんと登校しました。でも、勉強が手につかなくなり、成績は落ちる一方。2年生のときの担任の先生が親身になって相談に乗ってくれたのと、2人の友人にも話ができました。元々は何でもポジティブに考えようとするタイプだったこともあり、徐々に元気を取り戻しました。

その後、部活があると偽って丸一日出かけ、遠方にある本籍地の役所で戸籍の閲覧を申し出ました。役所の方も私が閲覧したい理由を聞いてびっくりなさっていました。「あなたを証明するものを出してください」と言われても生徒手帳しかありません。印鑑の代わりの指紋認証も、刑事ドラマの犯人みたいに、指先だけでなく周囲をぐるりと取られました。

今ほど個人情報の管理が厳しくなかったせいか、戸籍は出してもらえました。それを見て、私はまたショックを受けました。父母の欄には、まったく知らない名前が記されていたからです。私はそれまで「実の親は遠縁の誰かかもしれない」と、ぼんやり思っていたのです。

「私はどこの誰なのだろう」

身近な人とも血縁がないということに孤独を感じました。

自分の住民票や戸籍を調べたことは両親には言えませんでした。言っても混乱させるだけだと思ったからです。当時、私も高校生らしい悩みを親に相談することがあったのですが、一緒になって心配しすぎたり、違和感のある答えが返ってきたりと、かえってややこしくなるのが常でした。そのせいか、私は自分で何でも解決するタイプになっていたのです。「私は知っている」ということを告げたのは成人後、しかも生みの親に会いに行った後でした。

生母とその家族から事実を聞く

―実親さんにお一人で会いに行かれたのですか?

高校を卒業し、医療関係の専門学校に進学しました。最終的な戸籍は遠方に移されてありましたので、県外に進学した友人を訪ねるという理由をつけて、本籍地の場所まで新幹線に乗って出かけました。旅費はこつこつ貯めたお小遣いです。

その役所で入手した戸籍には、実親の住所も記されていました。私はそのまま吸い寄せられるようにその家にたどり着きました。インターホンを押してみましたが、留守でしたので、玄関のドアの前で何時間もひたすら待ち続けました。そしてようやく帰ってきた若い女性は、存在すら知らない実の姉でした。そこで事情を話すと、すぐに生母のところにも連れていかれ、「よく会いに来てくれたわね」と大感激されて、そのまま祖父母にまで会うことになったのです。

生母は手に職を持って働いている活発な女性で、大胆なファッションに驚きました。私のポジティブな部分は、生母から受け継いだのだなあ、と感じました。生母はストレートにものを言うタイプで、父である男性の理不尽な行為から逃げて、私が乳児院に預けられたことなど、自分にまつわるいろいろな話を一気に聞いて目が回りそうでした。「苦労をかけてごめんね」と言ってくれて、翌日、生母と姉が駅まで見送ってくれました。帰りの新幹線で一人になったとたん、涙があふれて仕方がありませんでした。

―ご両親(養親)にはその後にお話しになったのですね。

なかなか言えませんでしたが、しばらくしてようやくこのことを話しました。当然ながら、ものすごく驚き、そして悲しんでいました。私が勝手な行動を取ったからです。両親は「いつか話そうと思っていたけれど、話せなかった」と泣いていました。養母は、生母に会ったことが相当ショックだったらしく、「会わないという約束を破った」と生母に対しての怒りをあらわにしていました。

すべてを話した後は自宅で過ごすのが息苦しく、医療専門学校が終わるとアルバイト先で過ごして深夜に帰宅し、早朝に出かけるという日々が続きました。

実はその後、しばらく生母や姉たちと連絡を取り合っていました。養母はそれを嫌がり、「私と生みの母とどちらを大事に思っているの?」と問われ、板挟みの状態が続きました。そのうち私もその状態に耐えられなくなってきて、生母からの連絡には居留守を使うようになりました。すると、養母の険しい表情も和らぎ、日々の生活も落ち着き始めました。私は複雑な気持ちでしたが、それ以降、実家庭とは連絡を取らないことにしました。

孫の誕生により家族の笑顔が増えた

その後、私は結婚を機に家を出ました。両親は以前のような喧嘩をしなくなり、そして孫が誕生すると、その孫をとてもかわいがってくれました。二人とも笑顔が増えて明るくなっていきました。孫の存在が両親の夫婦関係を良い方向に変化させていったのです。孫をかわいがってくれる両親の姿に私の心も癒されていきました。

私自身もわが子がかわいくてたまりませんでした。子育ては本当に楽しかった。でも、時おり「子どもはこんなにかわいいのに、なぜ私を育ててくれなかったのだろう」と、出産前にはなかった感情も湧き上がりました。そして、養子であることを隠し続けて、誰にも相談できないなかで子育てをしていた両親のしんどさに思いを寄せるようになりました。あの頃、相談できる人がいれば、あれほどの夫婦喧嘩をしなくて済んだのではないかと。自分の子育てを通して、両親が私を一生懸命に育ててくれたことに対して、感謝の気持ちがどんどん強くなっていきました。

両親は、孫に血縁関係がないことを言わないでほしいと言いました。でも、私は自分の子どもたちには本当のことをきちんと話していきたいと思っていました。なので、それぞれの子が中学を卒業する春休みに伝えました。

「この出来事は私に起きたことで、あなたとおじいちゃんおばあちゃんとの関係は今まで通り変わらないよ。二人は血がつながらなくても私を大事に育ててくれた立派な人たち。こうして私が育ったことで、あなたたちもこの世に生まれて、命がつながって、今があるということを伝えたかった。これからもおじいちゃん、おばあちゃんを大事にしてほしい」と話しました。二人とも驚きながらも、理解してくれました。

縁組前から縁組以降も継続サポートを

―これまでのご経験から、どのような支援があればよかったと思いますか?

特別養子縁組前から子育て中もずっと、継続的に親子をサポートしてくれる専門職が必要だと思います。私の両親の場合、悩みを理解してくれる人はどこにもいなかった。当時の児童相談所で仲介してくださった方もそれきりですし、仮に支援を申し出てくれていたとしても私の両親は、「実子として育てているからもう関わらないでください」と断っていた気がします。

養親の中には、常に血縁がないことを意識しながら過ごす人もいるかもしれません。養親への支えによって落ち着いた子育てができれば、それが子どもにも伝わり、子どもの心も満たされると思います。

今は養子であることを隠す時代ではないので、養親を支援してくれる人は、子どもから見たら「お父さんとお母さんのお友達」という印象になるように、その家庭に訪問してくださると良いですよね。「今日はお友達が遊びに来てくれたよ」という感じで、小さいころから親と子の両方に寄り添ってくれる存在だとありがたいです。やがて子どもが大きくなって、養子であることに悩んだとき、その人が相談に乗ってくれたら心強いと思います。

私は相談できる友人や先生に恵まれましたが、両親のこれまでのいきさつをご存じの方であれば、細かいところまで理解してもらえる気がします。親と子の共通の支援者で、その方が心理や福祉の専門職であれば、なおさら心強いと思います。

子どもは自分のことを知りたいだけ

―ご自分だけでルーツを辿られましたが、誰かにサポートしてほしかったですか?

そのときは、一人で行くしかありませんでした。私の事情を理解してくれている人がいたら、お願いしたかもしれません。事情が明らかになって複雑な思いでトボトボと歩く帰り道、一緒に歩いてくれる人がいて「あなたは決して一人ぼっちではないよ」と言ってもらえたなら、どんなに心強かったかと思います。

私は一人で勝手に行動したことで、育ての母には、「生母と、どちらが大事なの?」という気持ちにさせてしまったのですが、どちらが大事だとか、同じ土俵に上げるような存在ではありません。上手にバトンを渡してもらったのです。だから養親さんは子どもが生みの親に会いたがっても、負けたとか、淋しいとか思わないでほしいです。子どもはただ自分のことを知りたいだけなのですから。

大人たちが決定したことに、子どもである私の人生は左右されたわけです。そのことを私だけが知らなかった。赤ちゃんのときは仕方ないですが、私のことなのに私だけが知らずに、ご近所の人は知っているのはおかしな話です。

育ての親はわが子と同様に大事に思うからこそ、言えない気持ちもわかります。ルーツを調べたいと言われると、頭ではわかっていても、心では淋しいと思われるかもしれません。でもそんな風に思わずに、お子さんと一緒になって考えてあげてほしいです。そんなときにこそ、共通の知り合いである支援者がいてくれたら良いと思います。

―実親さんに関しての客観的事実は、どのように知らせてほしいですか?

私は生みの親を直接訪ねるという大胆な行動に出たので、実父の事情についても心の準備がないままに聞いてしまいました。できれば、心理や福祉職でトレーニングを受けている支援者が、養親と相談して、子どもの成長の度合いや親子関係を鑑みて、どこまでの事実を伝えたらよいのか、よく考えてくださると良いと思います。その際、養親さんが「私たちから聞きたいか、支援者から聞きたいか」ということを子どもに訊いてくれるとより良いと思います。

実親についての情報は、肯定的に伝えてほしいです。実親に関しての情報量は少ないですから、その少ない情報がネガティブだと、子どもにとってはつらいのです。現在進行形の親子なら、仲が悪くても和解できれば、情報は上書きされますよね。でも会えない人の情報は上書きできないので、ネガティブな言葉がそのまま固定されます。特に育ての親には生みの親のことは肯定してほしいです。

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すべての経験が今の幸せにつながっている

―改めてご自身のご経験を振り返って、どのように感じていますか?

私は家庭のモデルの中で育つことができたことに感謝しています。そのおかげで私自身が家庭を持って、幸せな子育てができました。

生むことはできたけれど育てられなかった、生むことはできなかったけれど育てることはできた、その二人の母がバトンを渡してつなげてくれた私は、ありがたいことに生んで育てることができました。決して当たり前ではない幸せ。私は生みの親のポジティブなところと、育ての親の慎重なところ、両方の親の良いところを受け継がせてもらったと思います。

小さいころから隠し事がなく、あんなに夫婦喧嘩もひどくなければ、もっとのびのびと育つことができたのかなあ、と思うこともあります。でも私にとって両親は誇らしい存在です。老いていく両親を前にして思うのは、「できる限りノーと言わない」ということです。両親がしたいと言ったことを叶えてあげたいと思っています。

子どもからは、「お母さん、おじいちゃんとおばあちゃんの言うことはぜんぶ聞いてあげているけど、それ本当にやりたいの?」と言われたこともあります。鋭いですよね。でも、この両親がいなければ、私の今の幸せはないから。決して義務感からではなく、私がしてもらったことのお返しをしたいのです。

今日は養子当事者という「子どもの立場」のお話しをしましたが、私自身が年を重ねて、結婚・出産・子育てという人生経験ができたことで、生みの親、育ての親の両方の気持ちがわかるようになりました。今はNPOの活動で、困難を抱える女性のサポートをさせていただいています。すべての人生経験が今につながっていることに心から感謝しています。

インタビューを終えて、、、、

近年は、児童相談所でも民間の養子縁組団体でも真実告知をするように研修などで伝えていると思いますが、以前はこうした指導が充分とはいえない時代もあり、養親からの真実告知が行われていないケースも多々あるとお聞きします。 Kさんは真実告知の必要性を伝えることも含めた、ご両親への支援を訴えておられました。

養親さんの立場からしてみれば、子どもが生みの親のことを知りたいと思ったり、会いたいと思ったりするのは複雑な気持ちになるかもしれません。ただ、日本財団の養子縁組調査でも、「生みの親のことを知りたいと言われた時には、悲しい顔はしないでほしい。子どものその気持ちは、生物学上の『親』を知りたいという気持ちによるものだと思うから。そして会えないのであれば、その理由や養子縁組について、わかりやすく制度の決まり等を教えて欲しい」という意見があり、生みの親に会いたいという気持ちと養親さんへの愛情が、必ずしも相反するわけではないと感じます。文化的な違いはあるかもしれませんが、アメリカなどでの臨床的研究からは、秘密にすることが養子のアイデンティティの形成を妨げる原因となり、逆に養父母が血縁の父母の情報を子どもに提供することで 「養子である子どもや青年に対して最も肯定的な成果をもたらす」という報告もあります。財団調査による養子当事者の生みの親への気持ちは、感謝してる、会いたい、興味がない、幸せでいてくれればいい、会いたくない、憎いんでいるなど様々でしたが、それぞれの子どもの気持ちに沿った支援を提供する必要があるでしょう。日本でも今後、国が特別養子縁組を推進していくのであれば、政府が「養子縁組に関するデータをきちんと管理し、真実告知やルーツ探しのサポートを拡充していって欲しいと思います。

日本財団は、日本国際社会事業団(ISSJ)による養子縁組カウンセリングを支援しています。真実告知やルーツ探しについて御相談したい方はこちらに御相談下さい。以外の養子縁組の場合も相談にのってくれます。

ISSJの連絡先

ご相談ください

(日本財団 新田歌奈子)

 

参考資料:

「養子縁組をした762人の親子の声」

「子が 15 歳以上の養子縁組家庭の生活実態調査」

森和子「養子のアイデンティティ形成に関する研究の動向と展望 ―「真実告知」と「ルーツ探し」に着目して―」文京学院大学人間学部研究紀要 Vol. 19, pp. 197 ~ 209, 2018. 3

2019.05.17 更新

よ~しの日2019トークインタビュー ~さまざまな家族の形がある、 それが当たり前の世の中へ~

<よ~しの日2019トークインタビュー
~さまざまな家族の形がある、 それが当たり前の世の中へ~

 

日本財団では、特別養子縁組制度を広く知っていただき、理解を深めていただく記念日として、毎年4月4日を「養子の日」と制定しています。本年度は「養子の日のウィーク」として3月末より全国でPR活動を実施しました。東京・フクラシア丸の内オアゾで3月30日(土)に開催したイベントでは、特別養子縁組をされたご家族や養親希望のご夫婦を支援する多彩なプログラムを実施しました。「瀬奈じゅんさん&千田真司さんご夫妻」もご登壇されたスペシャルトークショーの概要をリポートします。

<ご登壇者>

瀬奈じゅんさん・千田真司さんご夫妻(養親)、大木尚子さん(養親)、大木愛さん(養子)、橘高真佐美さん (弁護士・養親)

司会(藤井祥子):本日は、養子縁組をされた方や養子縁組をご検討の皆様をお招きいたしまして、特別養子縁組をなさったご登壇者より、事前に皆さまからお寄せいただいたご質問にお答えいただく形でお話しをしていただきます。
ご登壇者のご紹介をいたします。俳優としてご活躍なさっている瀬奈じゅんさん、千田真司さんご夫妻は、昨年2月に特別養子縁組で子どもを授かったことを公表されました。一昨年の初夏、生後5日の赤ちゃんを病院に迎えに行き、約半年間の養育期間を経て、縁組が成立。現在はとても楽しく子育てをなさっています。
そして、43年前に特別養子縁組をなさった大木尚子さんと大木愛さん親子には、これまでのご経験を、弁護士の橘高真佐美さんには法律の専門家の立場から、また養親を経験した当事者としてもお話しをいただきます。

大木さん:私は21歳で結婚しましたが、なかなか子どもを授かりませんでした。27歳のとき、愛知県瀬戸市の小さな教会で生後2カ月の赤ちゃんと出会いました。生みのお母さんは出産後の出血が止まらず亡くなられたそうです。養子縁組の支援をなさっていた先生に、私は「本当にかわいそうですね」と申し上げたら、先生は「神様はこの子が必要な子どもだから残した。特別な子なのですよ」とおっしゃいました。その子が、いま隣にいる娘です。振り返ると、本当に特別な子でしたね。その後も養子を2人、そして里親としても子どもを迎えて、いまでは孫もおります。現在は中学2年の男の子と女の子、そして高校2年生の男の子の里親ですが、長女の愛も保護者として助けてくれています。

愛さん:大木の娘です。40年前の父と私の写真をお見せしていますが、父は80歳を超えた今も元気で、中学生と高校生の里親もしています。

橘高さん:私は2017年に生後2週間の娘を迎えた養親です。弁護士として特別養子縁組のお手伝いをすることもあります。弁護士が携わる仕事はシビアな内容が多いのですが、特別養子縁組のプロセスはうれしいことが多く、弁護士として特別養子縁組に関わることも私にとっての喜びです。

夫婦間で意見は一致していたか

――最初の質問は、養子縁組に至るまで、ご夫婦での相談期間があったと思いますが、ご夫婦の意見が一致していましたか? また、どちらかが反対であった場合、どのように説得されたのでしょうか。

瀬奈さん:私は不妊治療をしていました。精神的にも肉体的にもつらい日々でしたが、その様子を見るに見かねた夫が、特別養子縁組のことを提案してくれました。そのときは、口には出しませんでしたが、「あなたの子が欲しいから、がんばっているのに」という気持ちでした。でも、私は夫をとても信頼していますし、「間違ったことをいう人ではない」と思っていましたので、自分でも特別養子縁組について調べ始め、興味を持つようになりました。そして、夫から提案があった1年後に、「特別養子縁組に向かって進みたい」と伝えました。迷いはありませんでした。ただ、制度の詳細は知らなかったので、さらに深く知ることから始めました。そこから私たちは同じ方向に向かって進むことができたと思います。

千田さん:不妊治療で苦労をしている妻の様子を見て「男性は何もできないな」と思っていましたが「特別養子縁組でも家族になれるのではないか」と、思い切って妻に提案しました。自分から提案したものの、特別養子縁組の細かいことまでは知らなかったので、方向を決めてからは、妻と一緒に学び始めました。
不妊治療は「やめどき」が見つかりません。何年も続けているご夫婦もいらっしゃいます。こうしたご夫婦が、特別養子縁組という方法をご存じであれば、選択肢は増えるでしょう。しかし、不妊治療をがんばっているときに、パートナーからその話は聞きたくない、傷つく、という面はあると思います。言い出すタイミングも難しいです。
私たちは「&family.. (アンドファミリー)」という会社を立ち上げて、特別養子縁組を知っていただく活動もしています。その主旨の一つに、出口が見えない不妊治療に悩んでいる方に、第三者的な立場から「特別養子縁組はこういう制度ですよ」と提示することで、何かお力になれるかもしれないと考えています。
ご質問の答えとしては、最初は夫婦間で、反対ではないけれど、「いまがんばっているのに」という意味での葛藤はありました。ただ、二人で決めて前を向いて進み始めてからは、不安はありましたが、一歩一歩、進んでいくことができました。

大木さん:私の場合は今から43年前なので、特別養子縁組制度はなく、当時は医師会と教会が連携していて、親が育てられない赤ちゃんを教会に託していたようです。多くはアメリカで養子縁組されていました。本当は愛もアメリカに行くはずだったのです。私たち夫婦はいろいろなお話を聞き、「あの赤ちゃん、私たちで育てたいよね。アメリカに行くから難しいかな」と話していました。そうしたときに、教会から電話で「赤ちゃんを育ててみませんか」とご連絡いただき、それがあの最初に会った赤ちゃんでしたから、大喜びでした。

橘高さん:私は最初から血縁にこだわりはありませんでした。しかし、夫にその思いを伝えたところ、明確に反対ではありませんでしたが、あまり受け入れてもらえていない、という感じがしました。二人のペースが揃わないまま事を急いでもうまくいかないと思い、その後は折を見ながら「説明会があるから行ってみない?」という提案を積み重ね、結局10年ほどかかりました。でも、二人が同じ方に向いている状態で子どもを迎えることができたと思います。

私としては「もう少し若いときに迎えられたら」という気持ちがゼロではありませんが、私たちにとっては、この期間がなければ、二人が同じ気持ちになれなかったでしょうし、今の娘ともこのタイミングでのご縁でしたので、これで良かったと思っています。

両親や兄弟、親戚、友人の反応は?

――養子を迎えるにあたって、お子さんからは祖父母に当たるご両親、親戚、友人からは、どのような反応がありましたか?

瀬奈さん:実は、もう少し批判や反対意見が出るのかと思っていましたが、ひとつもありませんでした。私が想像している以上に、皆さんの認識以上に、今の世の中の受け皿は広く、受け入れ態勢ができていると感じました。私たちは幸せに、周りに祝福されて、子どもを迎えることができました。

千田さん:父と母に、そして兄弟にも直接会って話をしました。両親と兄は、最初は驚きましたが、時間をかけて説明をしたところ、私たち夫婦の幸せを願い「大変なことはあるのだろうけれど、二人で話し合って決めたのなら」と応援してくれました。

ただ、妹は少し違う反応でした。兄や両親は、弟であり息子である私のことを広い心で受け入れてくれたのだと思いますが、妹は彼女自身が疑問に思ったことを率直にぶつけてくれました。「夫婦二人でも幸せじゃない。なぜそういう選択が必要なの?」と。それは、反対ということではなく、「自分もその感情を知っておきたい」という疑問のようでしたので、私なりに気持ちを話しました。

子どもを迎えてからは、妻の両親も兄弟も、うちの家族も親戚も、友達も、会いに来てくれて、みなメロメロです。本当に子どもというのは天使なのだな、と実感しています。

大木さん:私の場合は、私の母も喜んでくれて、妹たちも実家に帰ると喜んでくれていました。2人目の男の子は名古屋の病院で生まれましたから、私たちは東京に居ましたので。名古屋の母と妹が、病院につれにいってくれたみたいです。ただ、3人目を迎えるとき、母は「子育ては大変だから、やめなさい」と言いました。母の言うことは聞きませんでしたが、確かに苦労はあったと思います。

橘高さん:私たちは共働きですが、私の両親からは「二人で働いて、幸せな生活をしているのだから、わざわざ苦労をしなくてもいいのでは?」とは言われました。でも、私たちの「子どもを育てたい」という思いは変わりませんでした。そして、いざ迎えたら、両親は大喜びで、すぐに子育ても手伝いに来てくれました。

里親という選択肢はあったか

――子どもを育てるという点においては、里親という選択肢もあるかと思います。では、なぜ里親制度ではなく、特別養子縁組制度であったのでしょうか。

千田さん:私たちは子どもが欲しくて不妊治療をしていたけれど、なかなか上手くいかない。でも自分たちで子どもを育てるなら、里親制度と特別養子縁組制度のどちらなのかと考えると、やはり特別養子縁組制度を通して「戸籍上も実子として迎えたい」ということだったのだと思います。子どもとも「自分たちの子どもである」という覚悟を持って向き合うと。改めてご質問をいただくと、このようにお答えしますが、正直申し上げて、そのときは里親制度と比較して選択したわけではなく、最初から特別養子としての縁組を望んでいました。

瀬奈さん:子どもを育てる、という点では、実子であろうと、特別養子縁組であろうと、里親制度であろうと、変わらないと思います。ただ、私たちは、戸籍上でも実の子供として責任を持って育てて行きたいという思いでありました。ですから、里親制度を選択する、という考えはありませんでした。ただ、子どもを育てるという点においては、まったく同じだと思っています。

大木さん:私も長女のときは養子という道しか知りませんでした。三人育てているうちに、近くの児童養護施設に方が、「乳児院からうちに来る3歳の子を育てていただけませんか」とお声をいただいて、それから里親として子育てをするよういなりました。現在はファミリーホームとなり、複数のお子さんの養育をしています。

橘高さん:私は子どもを迎えても仕事を続けるつもりでしたので、おそらく多くのお子さんと関わるのは難しいかなと思いました。また、「赤ちゃんの時から育てたい」という気持ちも強かったことから、特別養子縁組という選択にしました。もちろん、児童相談所を通して里親でも産まれてすぐの赤ちゃんから育てられる場合もあり、出生前から生母さんを支援し、新生児との縁組をあっせんする民間団体を通じて縁組をする、という選択になりました。

真実告知はできるだけ小さい頃に

――養子縁組をしたのち、お子さんに生みの親が別にいることを伝える真実告知。どのようなタイミングでどう伝えればよいのでしょうか。

大木さん:タイミングは難しかったですね。1歳、2歳は、「かわいい、かわいい」で過ぎ、いよいよ3歳。下にも弟を2人迎えてから、愛が「赤ちゃんが生まれるときって、みんなお腹が大きくなるよね。弟はお母さんのお腹が大きくならないのに、なぜうちに来たの?」と訊いたのです。私はドキドキして答えられなくなってしまい、「お父さんに聞いてくるから」と。そこで夫と話をして、「この機会を逃したらさらに言いづらくなる。嘘は言えない。本当のことを言う」と覚悟しました。

愛さん:私もはっきり覚えていませんが、「お母さんのお腹がこわれているから、お母さんには赤ちゃんができなかったのだ」と「実はあなたには、あなたを生んでくれたお母さんがいるのよ」ということをその時に教えてもらいました。「お母さんたちは、赤ちゃんが欲しかったし、愛にはお父さんとお母さんが必要だったから、神様が愛とお母さんたちを家族にしてくれた」と説明を受けた記憶があります。

大木さん:その夜、「どういう気持ちかしら」と思って、私は眠れませんでした。次の日に尋ねてみたけれど、特に動揺した様子はなかったです。

――養子であることを聞いたときどのように思いましたか? というご質問もありました。

愛さん:私から母にそんな質問をしたという記憶はないのですが、話をしてもらったことは覚えていています。そういえば、2人目の弟が我が家に来たとき、上の弟が「お母さんのおなかはどうして大きくならなかったの?」と訊いたのは覚えています。教会のお友達のお家にも同じ年頃のお子さんがいたそうで、そのお母さんはお腹が大きかった。それが不思議だったのだと思います。

母から話してもらったとき、私はまだ3~4才ですので、血のつながりや生みの親がいるという話はあまり理解はできませんでした。ただお父さんとお母さんがすごく大切な話をしてくれたということは伝わりました。子ども扱いの話ではなく、本気の話をしてくれている。私と一対一の大人の話、ちゃんと向き合って、いつもとは違う話をしてくれた。という空気を感じていました。「私にすごく大事な話をしてくれた」ということが、とてもうれしかったことを覚えています。

大木さん:そういえば、弟たちと一緒に入っているお風呂場から、声が聞こえたのです。弟たちに「教えてあげようか。実はね、お母さんのお腹は…」と言っている。うれしくて、言いたくてしょうがないという感じでした。「ちょっとまってね。お母さんが一人ひとりにお話するからね」と、止めたことは覚えています。

橘高さん:私たちにとって真実告知はこれからです。「ライフストーリーワーク」の研修にも参加して、準備をしています。研修では「赤ちゃん時代でもお風呂に入りながら、そういうこと語りかけておくと、真実告知の練習になりますよ」と学びました。いざ言おうとしたときに、言葉が出なくなることもあるので、練習をしておくといいそうです。私はその研修の日の夜、さっそくお風呂で語りかけてみました。これからも徐々に話していこうと思っています。

あと、養親の先輩方から「告知は一回ではなくて、子どもの成長や周囲の状況に応じて、何度も行われるもの」とお聞きしているので、こうしたことを踏まえて対応できるようになりたいと思っています。

大木さん:真実告知は、大きくなってから聞いてしまうと、ショックを受けると思います。3人目の子は里子として育てていましたが、4歳くらいの時に「お母さんのおっぱいを吸ったよね」という話をしてきたので、「いま言わなくては」と思って「お母さんは産めなかったから、お姉ちゃんたちもそうだけど、あなたも本当のお母さんがいて、それでここにきたのだよ」と話しました。やはりこの子もみんなに言いたくなった様子だったので「あなたとの秘密の話だから」と言いましたね。なるべく小さい頃であれば、抵抗なく受け入れてくれると思います。

養親さん向け小冊子「養子縁組をした762人の声」

わが子に出会えたことが最大の喜び

――特別養子縁組を経験して、一番うれしかったことは何ですか?

瀬奈さん:何よりも「わが子に出会えた」ということに尽きると思います。それによって、自分も成長させてもらっているし、夫婦の絆、家族の絆も深まったと思います。

千田さん:妻と同じ意見です。先ほど橘高先生が「そこに至るまでの時間があったからいまのわが子と出会えている」というお話は、まさにその通りだと思います。いま振り返ってみると、その出会いが必然というか、運命的なものなのだろうなという風にも感じてしまうくらいの家族になっている。子どもに出会えたことが、全てかなと思います。

大木さん:私は、子どもたちからたくさんの夢をもらったかなと思っています。里子の一人はいまアメリカの大学でがんばっていますが、その授業料を工面するにあたり、私たち高齢の親から借りるのではなく、長男と長女と次男、もう一人の里子たちが4年分の授業料を「私たちが貸す」と、一生懸命節約をして用意してくれました。ほんとうに一人ひとり、思いやりを持って、それぞれの夢に向かっていることが、とてもうれしいです。

愛さん:これまでの人生のなかで一つを選ぶのはすごく難しいですが、何よりも「家族がいる」ということでしょうか。家族だからといって、いいことばかりではなく、たまには面倒だなと思うこともありますよね。それも含めて家族がいる、ということが本当にありがたいことだと思います。

そして、「子どもたちが家庭で育つ」ということは、本当に大切なことだと、いま我が家で里子たちを迎えて一緒に暮らしながら痛感しています。

私は実子ではありませんが、それでもどっぷり家庭の中で育ってきたので、こうしたご登壇のお話をいただくようになるまで「自分が養子だな」と改めて考える機会がほとんどなく、普通の子たちと同じように育ってきたと自覚しています。ですから、皆さんがそうなったらいいな、と思います。特別養子が特別ではなくなり、皆が家庭で育ってそのことをうれしく思えたらいいな、と思っています。

 

橘高さん:私自身も子どものいない人生を送る可能性は大きかったですし、どのような生き方にもそれぞれの幸せがあると思います。私は子どもを欲しいと思って、子どもを迎えることができて、家族が増えたことは何よりの喜びです。娘の保育園の運動会では、自分の保育園時代を思い出しながら、人生の2つ目の楽しみを味わっています。こうして子どもと今という時間を一緒に過ごせることが、とても大きな喜びです。

養子や里子が特別ではない社会に

――それでは最後に一言ずつメッセージをお願いします。

瀬奈さん:私は特別養子縁組をしてわが子を迎えて、子育てはたいへんですけど、とても幸せな毎日を送っています。もしこの選択をしていなければ、どうなっていたのだろう、と思う時もあります。特別養子縁組を深く知りたいと思っている方やいま迷われている方もいらっしゃると思いますが、勇気を出して踏み出すことで、見えてくる世界が変わって来ると思うのです。私は特別養子縁組を“勧めます”とは言い切れません。ただ、この制度の正しい知識を知っていただき、選択肢の一つとしていただくことを望んでいます。

千田さん:大木さんのお話はとても参考になりました。特別養子縁組が当たり前の選択肢になっていったらうれしいですね。愛さんもおっしゃっていましたが「自分自身が養子当事者だ」ということをあまり意識せずに育つことができる社会であることを望みます。子どもたちのためにも、多くの人に知っていただく機会を私たちも作っていきたいと思っています。

大木さん:今の日本は虐待問題などが大きく取り上げられていますように、子どもが育つうえで厳しい環境のように思います。養子縁組に多くの方が理解を示していただけたらうれしいです。私が養子と里子を育てていて思うのは、やはり赤ちゃんから3~4歳までをしっかり一緒に過ごすことが、愛着形成の面で良いということです。赤ちゃんのときから一緒に居なかった里子さんとは、愛着の面で苦労があるそうです。それでも私は里親としてもまだ子どもを育てたいのですが、いよいよ体力がなくなってきました。若い方々にはぜひ養親や里親になっていただきたいと思います。

愛さん:養子の当事者としてこの場におります。ふと、いつまで「子どもの立場」でお話しするのだろう、と思います。日本ではまだ「特別」であることから、当事者としてこの場に来てくださるような次の若い人は少ないのかなと。あえて人前に出ることではないのというお考えも分かります。でも、若い養子当事者の声もこうした場でどんどんお聞きできるようになれば良いと思います。そのためにも、社会が養子や里子で育つ家庭のことを受け入れてくれて、それが特別ではない社会になることを願っています。

橘高さん:特別養子縁組で親子になった仲間はたくさんいらっしゃいます。皆さん、試し行動や真実告知のことなど、特別養子縁組ならではの課題がありますから、皆さんで一緒に学び合うことはあるのですが、それ以外では、本当に普通の子育てです。そして本当の親子になっていっている姿を、多くの方に知っていただけたらうれしいです。

――本日は貴重なお話をありがとうございました。

2019.05.16 更新

5月30日 「子どもの家庭養育推進官民協議会 シンポジウム」を開催いたします

「子どもの家庭養育推進官民協議会」では、平成30年度事業として、フォスタリングマークの発表と普及啓発、国への政策提言の実施や里親制度推進を目的とした研修の開催、参加団体のイベントの後援など幅広い活動を行ってまいりました。令和元年は下記のとおり総会に併せ講演会を開催します。日本財団はこの協議会に加盟しており、里親・特別養子縁組の推進に取り組んでおります。

■主催:子どもの家庭養育推進官民協議会
■日時:2019年5月30日(木)14時00分~16時00分
■場所:東京都港区赤坂1-2-2 日本財団ビル2F
■参加費:無料
■定員:100名(事前申し込みが必要です)
■内容:
講演会および活動報告 14:00~16:00
14:00~14:45 講演会:テーマ「子どものアドボケイトの導入に向けて」
講師 久佐賀 眞理先生
(児童養護学園シオン園施設長)
指定発言 社会的養護の当事者(スピーカー調整中)
14:45~15:30 加盟団体からの活動報告
15:30~15:45 表彰式(フォスタリングマーク 制作者)
15:45~16:00 政策提言の発表および提出
厚生労働省コメント
写真撮影
閉会挨拶 15:50~15:55

以下のメールアドレスに
1)参加者のお名前 2)所属団体 3)メールアドレスをお送り下さい。
申し込み締め切り:2019年5月29日(水)

問い合わせ先:子どもの家庭養育推進官民協議会事務局
E-mail : kanmin.jimukyoku(a)gmail.com ※(a)を@に変えてご使用ください。