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2019.05.17 更新

よ~しの日2019トークインタビュー ~さまざまな家族の形がある、 それが当たり前の世の中へ~【NEW】

<よ~しの日2019トークインタビュー
~さまざまな家族の形がある、 それが当たり前の世の中へ~

 

日本財団では、特別養子縁組制度を広く知っていただき、理解を深めていただく記念日として、毎年4月4日を「養子の日」と制定しています。本年度は「養子の日のウィーク」として3月末より全国でPR活動を実施しました。東京・フクラシア丸の内オアゾで3月30日(土)に開催したイベントでは、特別養子縁組をされたご家族や養親希望のご夫婦を支援する多彩なプログラムを実施しました。「瀬奈じゅんさん&千田真司さんご夫妻」もご登壇されたスペシャルトークショーの概要をリポートします。

<ご登壇者>

瀬奈じゅんさん・千田真司さんご夫妻(養親)、大木尚子さん(養親)、大木愛さん(養子)、橘高真佐美さん (弁護士・養親)

司会(藤井祥子):本日は、養子縁組をされた方や養子縁組をご検討の皆様をお招きいたしまして、特別養子縁組をなさったご登壇者より、事前に皆さまからお寄せいただいたご質問にお答えいただく形でお話しをしていただきます。
ご登壇者のご紹介をいたします。俳優としてご活躍なさっている瀬奈じゅんさん、千田真司さんご夫妻は、昨年2月に特別養子縁組で子どもを授かったことを公表されました。一昨年の初夏、生後5日の赤ちゃんを病院に迎えに行き、約半年間の養育期間を経て、縁組が成立。現在はとても楽しく子育てをなさっています。
そして、43年前に特別養子縁組をなさった大木尚子さんと大木愛さん親子には、これまでのご経験を、弁護士の橘高真佐美さんには法律の専門家の立場から、また養親を経験した当事者としてもお話しをいただきます。

大木さん:私は21歳で結婚しましたが、なかなか子どもを授かりませんでした。27歳のとき、愛知県瀬戸市の小さな教会で生後2カ月の赤ちゃんと出会いました。生みのお母さんは出産後の出血が止まらず亡くなられたそうです。養子縁組の支援をなさっていた先生に、私は「本当にかわいそうですね」と申し上げたら、先生は「神様はこの子が必要な子どもだから残した。特別な子なのですよ」とおっしゃいました。その子が、いま隣にいる娘です。振り返ると、本当に特別な子でしたね。その後も養子を2人、そして里親としても子どもを迎えて、いまでは孫もおります。現在は中学2年の男の子と女の子、そして高校2年生の男の子の里親ですが、長女の愛も保護者として助けてくれています。

愛さん:大木の娘です。40年前の父と私の写真をお見せしていますが、父は80歳を超えた今も元気で、中学生と高校生の里親もしています。

橘高さん:私は2017年に生後2週間の娘を迎えた養親です。弁護士として特別養子縁組のお手伝いをすることもあります。弁護士が携わる仕事はシビアな内容が多いのですが、特別養子縁組のプロセスはうれしいことが多く、弁護士として特別養子縁組に関わることも私にとっての喜びです。

夫婦間で意見は一致していたか

――最初の質問は、養子縁組に至るまで、ご夫婦での相談期間があったと思いますが、ご夫婦の意見が一致していましたか? また、どちらかが反対であった場合、どのように説得されたのでしょうか。

瀬奈さん:私は不妊治療をしていました。精神的にも肉体的にもつらい日々でしたが、その様子を見るに見かねた夫が、特別養子縁組のことを提案してくれました。そのときは、口には出しませんでしたが、「あなたの子が欲しいから、がんばっているのに」という気持ちでした。でも、私は夫をとても信頼していますし、「間違ったことをいう人ではない」と思っていましたので、自分でも特別養子縁組について調べ始め、興味を持つようになりました。そして、夫から提案があった1年後に、「特別養子縁組に向かって進みたい」と伝えました。迷いはありませんでした。ただ、制度の詳細は知らなかったので、さらに深く知ることから始めました。そこから私たちは同じ方向に向かって進むことができたと思います。

千田さん:不妊治療で苦労をしている妻の様子を見て「男性は何もできないな」と思っていましたが「特別養子縁組でも家族になれるのではないか」と、思い切って妻に提案しました。自分から提案したものの、特別養子縁組の細かいことまでは知らなかったので、方向を決めてからは、妻と一緒に学び始めました。
不妊治療は「やめどき」が見つかりません。何年も続けているご夫婦もいらっしゃいます。こうしたご夫婦が、特別養子縁組という方法をご存じであれば、選択肢は増えるでしょう。しかし、不妊治療をがんばっているときに、パートナーからその話は聞きたくない、傷つく、という面はあると思います。言い出すタイミングも難しいです。
私たちは「&family.. (アンドファミリー)」という会社を立ち上げて、特別養子縁組を知っていただく活動もしています。その主旨の一つに、出口が見えない不妊治療に悩んでいる方に、第三者的な立場から「特別養子縁組はこういう制度ですよ」と提示することで、何かお力になれるかもしれないと考えています。
ご質問の答えとしては、最初は夫婦間で、反対ではないけれど、「いまがんばっているのに」という意味での葛藤はありました。ただ、二人で決めて前を向いて進み始めてからは、不安はありましたが、一歩一歩、進んでいくことができました。

大木さん:私の場合は今から43年前なので、特別養子縁組制度はなく、当時は医師会と教会が連携していて、親が育てられない赤ちゃんを教会に託していたようです。多くはアメリカで養子縁組されていました。本当は愛もアメリカに行くはずだったのです。私たち夫婦はいろいろなお話を聞き、「あの赤ちゃん、私たちで育てたいよね。アメリカに行くから難しいかな」と話していました。そうしたときに、教会から電話で「赤ちゃんを育ててみませんか」とご連絡いただき、それがあの最初に会った赤ちゃんでしたから、大喜びでした。

橘高さん:私は最初から血縁にこだわりはありませんでした。しかし、夫にその思いを伝えたところ、明確に反対ではありませんでしたが、あまり受け入れてもらえていない、という感じがしました。二人のペースが揃わないまま事を急いでもうまくいかないと思い、その後は折を見ながら「説明会があるから行ってみない?」という提案を積み重ね、結局10年ほどかかりました。でも、二人が同じ方に向いている状態で子どもを迎えることができたと思います。

私としては「もう少し若いときに迎えられたら」という気持ちがゼロではありませんが、私たちにとっては、この期間がなければ、二人が同じ気持ちになれなかったでしょうし、今の娘ともこのタイミングでのご縁でしたので、これで良かったと思っています。

両親や兄弟、親戚、友人の反応は?

――養子を迎えるにあたって、お子さんからは祖父母に当たるご両親、親戚、友人からは、どのような反応がありましたか?

瀬奈さん:実は、もう少し批判や反対意見が出るのかと思っていましたが、ひとつもありませんでした。私が想像している以上に、皆さんの認識以上に、今の世の中の受け皿は広く、受け入れ態勢ができていると感じました。私たちは幸せに、周りに祝福されて、子どもを迎えることができました。

千田さん:父と母に、そして兄弟にも直接会って話をしました。両親と兄は、最初は驚きましたが、時間をかけて説明をしたところ、私たち夫婦の幸せを願い「大変なことはあるのだろうけれど、二人で話し合って決めたのなら」と応援してくれました。

ただ、妹は少し違う反応でした。兄や両親は、弟であり息子である私のことを広い心で受け入れてくれたのだと思いますが、妹は彼女自身が疑問に思ったことを率直にぶつけてくれました。「夫婦二人でも幸せじゃない。なぜそういう選択が必要なの?」と。それは、反対ということではなく、「自分もその感情を知っておきたい」という疑問のようでしたので、私なりに気持ちを話しました。

子どもを迎えてからは、妻の両親も兄弟も、うちの家族も親戚も、友達も、会いに来てくれて、みなメロメロです。本当に子どもというのは天使なのだな、と実感しています。

大木さん:私の場合は、私の母も喜んでくれて、妹たちも実家に帰ると喜んでくれていました。2人目の男の子は名古屋の病院で生まれましたから、私たちは東京に居ましたので。名古屋の母と妹が、病院につれにいってくれたみたいです。ただ、3人目を迎えるとき、母は「子育ては大変だから、やめなさい」と言いました。母の言うことは聞きませんでしたが、確かに苦労はあったと思います。

橘高さん:私たちは共働きですが、私の両親からは「二人で働いて、幸せな生活をしているのだから、わざわざ苦労をしなくてもいいのでは?」とは言われました。でも、私たちの「子どもを育てたい」という思いは変わりませんでした。そして、いざ迎えたら、両親は大喜びで、すぐに子育ても手伝いに来てくれました。

里親という選択肢はあったか

――子どもを育てるという点においては、里親という選択肢もあるかと思います。では、なぜ里親制度ではなく、特別養子縁組制度であったのでしょうか。

千田さん:私たちは子どもが欲しくて不妊治療をしていたけれど、なかなか上手くいかない。でも自分たちで子どもを育てるなら、里親制度と特別養子縁組制度のどちらなのかと考えると、やはり特別養子縁組制度を通して「戸籍上も実子として迎えたい」ということだったのだと思います。子どもとも「自分たちの子どもである」という覚悟を持って向き合うと。改めてご質問をいただくと、このようにお答えしますが、正直申し上げて、そのときは里親制度と比較して選択したわけではなく、最初から特別養子としての縁組を望んでいました。

瀬奈さん:子どもを育てる、という点では、実子であろうと、特別養子縁組であろうと、里親制度であろうと、変わらないと思います。ただ、私たちは、戸籍上でも実の子供として責任を持って育てて行きたいという思いでありました。ですから、里親制度を選択する、という考えはありませんでした。ただ、子どもを育てるという点においては、まったく同じだと思っています。

大木さん:私も長女のときは養子という道しか知りませんでした。三人育てているうちに、近くの児童養護施設に方が、「乳児院からうちに来る3歳の子を育てていただけませんか」とお声をいただいて、それから里親として子育てをするよういなりました。現在はファミリーホームとなり、複数のお子さんの養育をしています。

橘高さん:私は子どもを迎えても仕事を続けるつもりでしたので、おそらく多くのお子さんと関わるのは難しいかなと思いました。また、「赤ちゃんの時から育てたい」という気持ちも強かったことから、特別養子縁組という選択にしました。もちろん、児童相談所を通して里親でも産まれてすぐの赤ちゃんから育てられる場合もあり、出生前から生母さんを支援し、新生児との縁組をあっせんする民間団体を通じて縁組をする、という選択になりました。

真実告知はできるだけ小さい頃に

――養子縁組をしたのち、お子さんに生みの親が別にいることを伝える真実告知。どのようなタイミングでどう伝えればよいのでしょうか。

大木さん:タイミングは難しかったですね。1歳、2歳は、「かわいい、かわいい」で過ぎ、いよいよ3歳。下にも弟を2人迎えてから、愛が「赤ちゃんが生まれるときって、みんなお腹が大きくなるよね。弟はお母さんのお腹が大きくならないのに、なぜうちに来たの?」と訊いたのです。私はドキドキして答えられなくなってしまい、「お父さんに聞いてくるから」と。そこで夫と話をして、「この機会を逃したらさらに言いづらくなる。嘘は言えない。本当のことを言う」と覚悟しました。

愛さん:私もはっきり覚えていませんが、「お母さんのお腹がこわれているから、お母さんには赤ちゃんができなかったのだ」と「実はあなたには、あなたを生んでくれたお母さんがいるのよ」ということをその時に教えてもらいました。「お母さんたちは、赤ちゃんが欲しかったし、愛にはお父さんとお母さんが必要だったから、神様が愛とお母さんたちを家族にしてくれた」と説明を受けた記憶があります。

大木さん:その夜、「どういう気持ちかしら」と思って、私は眠れませんでした。次の日に尋ねてみたけれど、特に動揺した様子はなかったです。

――養子であることを聞いたときどのように思いましたか? というご質問もありました。

愛さん:私から母にそんな質問をしたという記憶はないのですが、話をしてもらったことは覚えていています。そういえば、2人目の弟が我が家に来たとき、上の弟が「お母さんのおなかはどうして大きくならなかったの?」と訊いたのは覚えています。教会のお友達のお家にも同じ年頃のお子さんがいたそうで、そのお母さんはお腹が大きかった。それが不思議だったのだと思います。

母から話してもらったとき、私はまだ3~4才ですので、血のつながりや生みの親がいるという話はあまり理解はできませんでした。ただお父さんとお母さんがすごく大切な話をしてくれたということは伝わりました。子ども扱いの話ではなく、本気の話をしてくれている。私と一対一の大人の話、ちゃんと向き合って、いつもとは違う話をしてくれた。という空気を感じていました。「私にすごく大事な話をしてくれた」ということが、とてもうれしかったことを覚えています。

大木さん:そういえば、弟たちと一緒に入っているお風呂場から、声が聞こえたのです。弟たちに「教えてあげようか。実はね、お母さんのお腹は…」と言っている。うれしくて、言いたくてしょうがないという感じでした。「ちょっとまってね。お母さんが一人ひとりにお話するからね」と、止めたことは覚えています。

橘高さん:私たちにとって真実告知はこれからです。「ライフストーリーワーク」の研修にも参加して、準備をしています。研修では「赤ちゃん時代でもお風呂に入りながら、そういうこと語りかけておくと、真実告知の練習になりますよ」と学びました。いざ言おうとしたときに、言葉が出なくなることもあるので、練習をしておくといいそうです。私はその研修の日の夜、さっそくお風呂で語りかけてみました。これからも徐々に話していこうと思っています。

あと、養親の先輩方から「告知は一回ではなくて、子どもの成長や周囲の状況に応じて、何度も行われるもの」とお聞きしているので、こうしたことを踏まえて対応できるようになりたいと思っています。

大木さん:真実告知は、大きくなってから聞いてしまうと、ショックを受けると思います。3人目の子は里子として育てていましたが、4歳くらいの時に「お母さんのおっぱいを吸ったよね」という話をしてきたので、「いま言わなくては」と思って「お母さんは産めなかったから、お姉ちゃんたちもそうだけど、あなたも本当のお母さんがいて、それでここにきたのだよ」と話しました。やはりこの子もみんなに言いたくなった様子だったので「あなたとの秘密の話だから」と言いましたね。なるべく小さい頃であれば、抵抗なく受け入れてくれると思います。

養親さん向け小冊子「養子縁組をした762人の声」

わが子に出会えたことが最大の喜び

――特別養子縁組を経験して、一番うれしかったことは何ですか?

瀬奈さん:何よりも「わが子に出会えた」ということに尽きると思います。それによって、自分も成長させてもらっているし、夫婦の絆、家族の絆も深まったと思います。

千田さん:妻と同じ意見です。先ほど橘高先生が「そこに至るまでの時間があったからいまのわが子と出会えている」というお話は、まさにその通りだと思います。いま振り返ってみると、その出会いが必然というか、運命的なものなのだろうなという風にも感じてしまうくらいの家族になっている。子どもに出会えたことが、全てかなと思います。

大木さん:私は、子どもたちからたくさんの夢をもらったかなと思っています。里子の一人はいまアメリカの大学でがんばっていますが、その授業料を工面するにあたり、私たち高齢の親から借りるのではなく、長男と長女と次男、もう一人の里子たちが4年分の授業料を「私たちが貸す」と、一生懸命節約をして用意してくれました。ほんとうに一人ひとり、思いやりを持って、それぞれの夢に向かっていることが、とてもうれしいです。

愛さん:これまでの人生のなかで一つを選ぶのはすごく難しいですが、何よりも「家族がいる」ということでしょうか。家族だからといって、いいことばかりではなく、たまには面倒だなと思うこともありますよね。それも含めて家族がいる、ということが本当にありがたいことだと思います。

そして、「子どもたちが家庭で育つ」ということは、本当に大切なことだと、いま我が家で里子たちを迎えて一緒に暮らしながら痛感しています。

私は実子ではありませんが、それでもどっぷり家庭の中で育ってきたので、こうしたご登壇のお話をいただくようになるまで「自分が養子だな」と改めて考える機会がほとんどなく、普通の子たちと同じように育ってきたと自覚しています。ですから、皆さんがそうなったらいいな、と思います。特別養子が特別ではなくなり、皆が家庭で育ってそのことをうれしく思えたらいいな、と思っています。

 

橘高さん:私自身も子どものいない人生を送る可能性は大きかったですし、どのような生き方にもそれぞれの幸せがあると思います。私は子どもを欲しいと思って、子どもを迎えることができて、家族が増えたことは何よりの喜びです。娘の保育園の運動会では、自分の保育園時代を思い出しながら、人生の2つ目の楽しみを味わっています。こうして子どもと今という時間を一緒に過ごせることが、とても大きな喜びです。

養子や里子が特別ではない社会に

――それでは最後に一言ずつメッセージをお願いします。

瀬奈さん:私は特別養子縁組をしてわが子を迎えて、子育てはたいへんですけど、とても幸せな毎日を送っています。もしこの選択をしていなければ、どうなっていたのだろう、と思う時もあります。特別養子縁組を深く知りたいと思っている方やいま迷われている方もいらっしゃると思いますが、勇気を出して踏み出すことで、見えてくる世界が変わって来ると思うのです。私は特別養子縁組を“勧めます”とは言い切れません。ただ、この制度の正しい知識を知っていただき、選択肢の一つとしていただくことを望んでいます。

千田さん:大木さんのお話はとても参考になりました。特別養子縁組が当たり前の選択肢になっていったらうれしいですね。愛さんもおっしゃっていましたが「自分自身が養子当事者だ」ということをあまり意識せずに育つことができる社会であることを望みます。子どもたちのためにも、多くの人に知っていただく機会を私たちも作っていきたいと思っています。

大木さん:今の日本は虐待問題などが大きく取り上げられていますように、子どもが育つうえで厳しい環境のように思います。養子縁組に多くの方が理解を示していただけたらうれしいです。私が養子と里子を育てていて思うのは、やはり赤ちゃんから3~4歳までをしっかり一緒に過ごすことが、愛着形成の面で良いということです。赤ちゃんのときから一緒に居なかった里子さんとは、愛着の面で苦労があるそうです。それでも私は里親としてもまだ子どもを育てたいのですが、いよいよ体力がなくなってきました。若い方々にはぜひ養親や里親になっていただきたいと思います。

愛さん:養子の当事者としてこの場におります。ふと、いつまで「子どもの立場」でお話しするのだろう、と思います。日本ではまだ「特別」であることから、当事者としてこの場に来てくださるような次の若い人は少ないのかなと。あえて人前に出ることではないのというお考えも分かります。でも、若い養子当事者の声もこうした場でどんどんお聞きできるようになれば良いと思います。そのためにも、社会が養子や里子で育つ家庭のことを受け入れてくれて、それが特別ではない社会になることを願っています。

橘高さん:特別養子縁組で親子になった仲間はたくさんいらっしゃいます。皆さん、試し行動や真実告知のことなど、特別養子縁組ならではの課題がありますから、皆さんで一緒に学び合うことはあるのですが、それ以外では、本当に普通の子育てです。そして本当の親子になっていっている姿を、多くの方に知っていただけたらうれしいです。

――本日は貴重なお話をありがとうございました。

2019.05.16 更新

5月30日 「子どもの家庭養育推進官民協議会 シンポジウム」を開催いたします【NEW】

「子どもの家庭養育推進官民協議会」では、平成30年度事業として、フォスタリングマークの発表と普及啓発、国への政策提言の実施や里親制度推進を目的とした研修の開催、参加団体のイベントの後援など幅広い活動を行ってまいりました。令和元年は下記のとおり総会に併せ講演会を開催します。日本財団はこの協議会に加盟しており、里親・特別養子縁組の推進に取り組んでおります。

■主催:子どもの家庭養育推進官民協議会
■日時:2019年5月30日(木)14時00分~16時00分
■場所:東京都港区赤坂1-2-2 日本財団ビル2F
■参加費:無料
■定員:100名(事前申し込みが必要です)
■内容:
講演会および活動報告 14:00~16:00
14:00~14:45 講演会:テーマ「子どものアドボケイトの導入に向けて」
講師 久佐賀 眞理先生
(児童養護学園シオン園施設長)
指定発言 社会的養護の当事者(スピーカー調整中)
14:45~15:30 加盟団体からの活動報告
15:30~15:45 表彰式(フォスタリングマーク 制作者)
15:45~16:00 政策提言の発表および提出
厚生労働省コメント
写真撮影
閉会挨拶 15:50~15:55

以下のメールアドレスに
1)参加者のお名前 2)所属団体 3)メールアドレスをお送り下さい。
申し込み締め切り:2019年5月29日(水)

問い合わせ先:子どもの家庭養育推進官民協議会事務局
E-mail : kanmin.jimukyoku(a)gmail.com ※(a)を@に変えてご使用ください。

2019.05.09 更新

上鹿渡和宏教授インタビュー 「まず乳児院が変わることから変化が始まる」【NEW】

<シリーズ・児童福祉の新時代へ その2>

~過渡期を迎えた日本の社会的養護「新しい社会的養育ビジョン」の実現へ向けて~

「まず乳児院が変わることから変化が始まる」

この人に聞く!早稲田大学上鹿渡和宏教授インタビュー

平成28年の児童福祉法の改正、そして平成29年8月に発表された『新しい社会的養育ビジョン』では、「実親による養育が困難であれば、特別養子縁組による永続的解決(パーマネンシー保障)や里親による養育を推進」という家庭養育優先原則が明確に示されました。その実現に向けた手立てとして、上鹿渡和宏教授(当時長野大学社会福祉学部)が積極的に提言されたのが、「里親養育の包括的支援を行うフォスタリング機関の強化」や「乳児院および児童養護施設の多機能化・機能転換、高機能化を進める」などです。こうした改革には「実践・施策・研究の3つが嚙み合って実現へ向けて動いていくことが大切」と語る上鹿渡教授。社会福祉学、医学、哲学を修められ、障がい者支援や国際支援などの幅広いボランティア経験や児童精神科医としての経験から「社会的養護」に導かれたいきさつ、フォスタリングチェンジ・プログラムの導入、そして家庭養育への今後の取り組みなどをお聞きしました。
(聞き手/日本財団 国内事業開発チーム チームリーダー 高橋恵里子)

◇ボランティア活動で「当事者」を知る

―児童精神科医である上鹿渡先生が社会的養護のお子さんのことに関わるようになったいきさつを教えてください。

上鹿渡 もともとは文学部哲学科で倫理学を専攻し、大学時代は知的障がいや身体障がいのあるお子さんが通う学童保育のような場でアルバイトをしたり、脳性麻痺の方をサポートするボランティアをしたり、海外支援のNGOでも活動していました。

障がい者支援に関しては、アメリカ発の社会運動である『自立生活運動』が注目されていました。自立生活運動とは、障がいを持つ当事者自身によって、地域で生活をするために必要な制度や社会の意識を新しく作りかえるという運動のことです。ボランティア活動のなかで重度の脳性麻痺の障がいを持つ方と知り合い、一緒にアメリカで自立生活を体験する企画に応募して、1ヶ月ほど滞在したこともあります。旅では多様な経験をしましたが、「当事者の自己決定」の重要性を知ることができたのは大きかったと思います。

―海外支援ではインドにも行かれていたそうですが?

大学2年のときにはNGOが企画したインドの井戸掘りワークキャンプにも参加し、翌年からはキャンプリーダーを任され、結局は3年連続で参加しました。私の妻は精神保健福祉士・保育士ですが、この井戸掘りのワークキャンプが出会いでした。

インドでは単に井戸を掘るだけでなく、現地の方が自立して生活していくためにどのような支援が大切なのかということを見据えた支援が求められました。このキャンプでもやはり「まず当事者のことを考える」ということが身に付いたと思います。当時の学生は国際支援に目を向ける人も多くいましたが、国内でボランティアをしていると、困っている方々は近くにいて、私がしなければならないことはここにあると感じました。

こうした活動を通して医療や福祉の分野に関心が湧き、何をなすべきか考えているだけでなく、実際に困っている人の役に立つことを自分もできるのではないかと思うようになりました。障がい者支援に携わったことで、まずはそこで貢献できる医療の道もあるかもしれない。そう考えて医師を目指すべく、文学部の卒論を書きながら医学部にチャレンジすべく勉強を始めて入学することができました。

 ◇「医療」だけでなく「生活」への視点が重要

医学部で精神科を選択なさった理由は?

医学部入学後の様々な経験を通して、障がいのある子どもや大人に携われる専門として精神科を中でも児童精神科の医師として子どもに関わる仕事ができればと思うようになりました。医学部1、2年生の時には単位認定で時間にゆとりもありいろいろと貴重な経験ができました。チェルノブイリの白血病の子どもに医療支援をするNGOの事務局でも活動しました。この時事務局員の一人として携わった、白血病や甲状腺がんの子どもに現地の医療者が自分たちで対応できるようにする医療支援、そのような治療を可能にする現地のシステム作りは、本質的な課題解決のための重要な方法として私の中に強く印象付けられました。また、日本の研究者が現地の課題を解決するための介入とその機会をとらえての研究、また現地で得られた成果を現地の方々に還元することの必要性と重要性を学びました。研究者と現場の当事者双方のニーズをうまくマッチさせてつなげていくことの大切さを知ることができました。

社会的養護の子どもと最初に関わったのもこのころでした。大学のそばに乳児院があり、早朝・夜間の手薄な時間帯にボランティアに行っていたのです。20人ほどの乳幼児が入所していましたが、この時間帯の職員数は明らかに不足していました。朝や夕方、私が来ると「ワーッ」といっぺんに子どもたちが駆け寄ってきたことをよく覚えています。一緒に遊んだり、オムツを替えたりなどのお世話をして、時間になって帰ろうとする私に向かって、ベビーベッドに入れられた子どもたちが立ち上がって「バイバーイ」と手を振る。「この子どもたちはこのままでいいのだろうか」と疑問を持ちました。

また、この乳児院にとても仲良しの姉弟が入所していましたが、お姉ちゃんが3歳を過ぎるため児童養護施設へ移るということになりました。引き離された弟は泣いていました。「なぜ離さなければならないのですか?」と訊いても「制度だから仕方ない」と。切なかったです。院長も職員も子どものために尽くしたいと思っている方々ばかりで、とてもやさしく一生懸命な方ばかりでした。それなのに、なぜこんなことになってしまうのか。システムに対しての疑問が心に残り続けました。

その後、いったん社会的養護の領域からは離れ、医学生としての勉強の日々を過ごし、地域医療で有名な佐久総合病院で研修医として勤務しました。「農民とともに」をスローガンに、予防医療や地域医療を展開する総合病院で全科ローテーション研修で医師としての基本を身に着けました。なかでも、精神科、児童精神科、心療内科での研修に重きを置いた臨床現場で感じたのは、児童精神科の分野は特に「医療」のみではなく「生活」の視点を持たなくてはならないということです。入院の場合は特に、病院は治療の場というより「育ちの場」という視点が重要です。

また、これは学生時代の障がい者ボランティアのときにも感じたことですが、当事者と支援者あるいは当事者と医療者に(特に医療者側が気づかない・気づけない)壁があるという問題です。私がこのまま真っすぐに医師の道を進むことで、この壁が越えられなくなる、見えなくなるかもしれない。そうなってしまう手前の段階で、まだ若く柔軟な時期にしかできないことをしたいと思いました。そして、研修医としての期間を終えた後、どこにも所属しないまま、国内外の医療や福祉、教育施設等「困った子ども」が様々な支援を受けている機関や組織を実習生のような形で回りました。

◇ケースワークを踏まえた医療を提供

―どこにも所属しないという状態はある意味で冒険ですね?

確かに、冒険でした。当時の児童精神科がある著名な病院で研修生や見学者として受け入れていただきましたが、このとき成育医療センターでは奥山眞紀子先生にお目にかかっています。福祉系の施設は精神保健福祉士の妻と一緒に実習で参加させていただくこともありました。どこにも所属のない者をよく受け入れてくださったと感謝しています。

収入も安定的な身分もありませんでしたが、多様な現場に自分を置き、医療、福祉、教育の領域や組織を横断して捉えてみるという経験が私には必要だったと思います。初めから専門性を深めたり組織の中でキャリアを積んだりすることも大切ですが、扱う領域が狭くなることで見えなくなるものある。一つの組織が提供するケアがすべての人にマッチすればよいのですが、そこからこぼれてくる人も出てくるのです。子どものニーズに合わせて施設や病院があると考えていましたが、実際には病院や施設、機関のできることに合わせて、または偶然出会った専門職のできることに合わせて子どもが対応されていることも多いことに気づきました。どの現場もみな一生懸命、子どものために取り組まれていましたが、ときに別の方法、場の方が子どものニーズにあっているのではないかと思うこともありました。

―その後、京都の児童相談所に勤務なさっていますよね。

1年の放浪が終わった頃、まずは精神科医、児童精神科医としての専門性を身に着けるため、静岡県立こころの医療センターで外来と入院を担当しました。2年間で指定医症例をすべて経験させてもらい、児童精神科での入院ケースを持つことで、子どもが「育ちの場」にいられることの重要性を学びました。この間児童相談所嘱託医もするなかで、児童福祉の領域で仕事をしたいと思うようになりました。運よく京都市児童福祉センターという児童相談所内の診療所の常勤枠に空きができたことから、市職員の児童精神科医として勤められることになりました。
そこに来る子どもは発達障害や不登校などが中心で時には虐待ネグレクト疑いの子どももいました。一時保護中の子どもの診察、児童養護施設の職員と一緒に相談に来た子どもなど、社会的養護のお子さんの診察もありました。同時期に情緒障害短期治療施設(現在の児童心理治療施設)でも担当医を務めるなかで、もっとも対応が難しく、なかなか治療がうまくいかない、一番困っている子どもたちが、社会的養護の子どもたちであるということが判ってきました。

このような子どもたちが生きやすくなる、課題が解決されるようなケアやサポートをするプログラムやシステムを作ることができたら、この子どもたちの周辺にいる課題を抱える子どもたちにとってもよい効果があるのではないかと思いました。社会人類学者のロジャー・グッドマン先生(オックスフォード大学日産現代日本研究所教授)が「日本の社会的排除の最たるものが社会的養護の子どもだ」とおっしゃっていますが、私も臨床を通してそう実感したのです。

京都のセンターの初診では、一人のお子さんに2時間、場合によってはそれ以上の時間かけて診察していました。それでも状態が改善しないことはあります。どんなに専門的ですばらしい療法を施したところで、それ以外の多くの時間を過ごす生活のあり方にアプローチできなければ、うまくはいかないのではないかと思います。医療とケースワーク(福祉)の両方が必要です。例えば、学校との連携が必要な場合、ご家族を通した連携はもちろん、場合によっては医師である私が直接学校、クラスに訪問し子どもの様子やクラスの状況を把握したり、学校の関係者(校長、教頭、学年主任、養護教諭、担任、特別支援コーディネーター等)と学校で、または診察室に来ていただき、支援についての会議をすることもありました。他にも子どもの障害を理解しようとする母親を理解できない家族に働きかけることや、児童福祉司や心理司も交えて家庭や施設、学校といった子どもの生活の場の調整をすることも多くありました。

そもそもケースワークは児童精神科医の役割ではありませんし、一般の病院なら「回っていきません」と怒られてしまうでしょう。実際、私は以前に勤めた病院では診察が長すぎると注意を受けていましたから。でもそれだけ丁寧に対応しないと改善は期待できないと私は思っていました。このセンターでは、私が思うような子どもの生活状況を調整することも含めた医療を提供することができました。

 ◇先駆的研究者である津崎哲雄先生との出会い

―そのあたりから社会的養護との関わりが深くなったのでしょうか?

そうですね、社会福祉、社会的養護のことをもっと深く学びたいと思うようになりました。センターから近い場所に京都府立大学あり、ここの教授でいらした津崎哲雄先生は「英国ソーシャルワーク」を日本に紹介した社会的養護・家庭養護の先駆的研究者です。私は津崎先生の下で学ぶことを決意し、仕事は非常勤にしていただき、府立大の大学院に入学することにしました。

津崎先生の著書『ソーシャルワークと社会福祉』(明石書店)の中に、イギリスの小児科医で精神分析医のドナルド・ウィニコットのことを語るくだりがあります。ウィニコットは社会的養護に関連して「医療よりまずは生活が大事」ということや「ケースワークの重要性」について言及しています。「まず大事なのは治療ではなく、子どもにとって安定した場をどう供給するかということだ」というような考えにいたく共感し、このような尊敬すべき先生もそうおっしゃっていることが支えとなりました。

その後、無事に博士論文を完成させました。この論文は、私が津崎先生始め先人から学んだことの集大成であり、そこに実証的な研究を組み込み、社会的養護の改革において「研究・実践・施策」という3つの歯車を噛みあわせて進めることの重要性を明確にしたものです。私の大学時代からのボランティア活動、医師としての研究や臨床での経験が、つながりを持った形でこの博士論文に反映できたと思っています。

私が社会的養護の領域で貢献できることの一つに、児童精神科医としての研究や実証的な評価があると思います。海外には社会的養護に関する重要な研究成果がありますが、そのことを児童精神科医は知っていても、社会福祉の現場にまで届いないものも多かった。また、日本の社会的養護の現場では、子どものためにおこなったことが、本当に子どもから見てよい形になっているかということを実証的に評価できないことも多かったのではないでしょうか。今後は、里親養育の効果なども実証的な評価が大事になってくると思います。

フォスタリングチェンジプログラム受講者と上鹿渡先生

◇フォスタリングチェンジ・プログラムの導入

―里親支援のプログラムとして注目されているフォスタリングチェンジも広まってきていますね。

イギリスに医学生時代から何回か行き来して情報収集や関係づくりをしていくなかで、2011年5月に『フォスタリングチェンジ・プログラム』に出会いました。1999年にロンドンで始まったこのプログラムは、子どもの「言うことを聞かない」「かんしゃくをおこす」などの困った行動への対処の仕方、子どもと良好な関係の築き方を学ぶことができます。世界中でエビデンスがあると認められたスキルを統合し、段階的に目的や効果を考えて、体系的に編み直してあるものです。

私が児童精神科医として親子関係改善に取り組む際の考え方と重なっていましたし、とてもわかりやすく、取り組みやすく、効果も高いと感じました。全体は12のセッションで構成されており、ロールプレイで練習するだけでなく、家庭でトライしてみたことを次のセッションで仲間と共有するなど、スキルを自分のものにできるような工夫がされています。

思えば、京都の診療所に里親さん親子は診察には来ませんでした。困っている里親さんはいらしたと思いますが、施設の子どもしか診ていませんでした。児童相談所内の診療所に里親さんが「子どものことで悩んでいる」と相談に来ることはほとんどなかったのだと思います。もしも相談したら子どもをしっかり養育できない里親と思われ措置解除などもあるかもしれないと敬遠されていたのだと思います。悩んでいる里親さんに必要なスキルを身に付けていただいて、より多くの子どもたちとの関係改善に役立ていただきたいと思い、翻訳・出版をいたしました。

里親さんから明確な効果があったというお声をいただいていますよね?

日本では、最初に福岡のSOS子どもの村JAPANなどが協力してくださり、日本財団から助成していただき現在、多くの里親さんに広めているところですが、養育者と子どもの両方に明確な効果があるプログラムだと評価をいただいています。また、私はこのプログラムの波及効果として、家庭養育と施設養育に携わっている人をつなぐ役割もあると感じています。

『新しい社会的養育ビジョン』が発表された後、日本の社会的養護はシステム再構築の過渡期にありますが、施設養育と家庭養育という取り組みの違いにより、意見が一致しないこともあります。その点、フォスタリングチェンジは、いずれの立場の方ともぶつからず、子どものために取り組むにあたって、どちらにとっても良いものとして進めていける点が大きなメリットだと思います。

フォスタリングチェンジのファシリテーターは、児童養護施設の里親支援員の方が担うことも多いのですが、セッションを通してファシリテーターと参加者である里親さんがとても仲良くなれます。

また、施設の方からは「子どもとの関係づくりに役立つと思うので、児童養護施設のスタッフ全員で受けたい」というお申し出もあります。イギリスには施設用にアレンジした「ケアリングチェンジ・プログラム」もあります。現在施設で暮らすお子さんのためにも施設での実施もサポートしていきたいと思います。

このプログラムは人間関係修復のスキルとして汎用性もあり、社会的養護の子どもとの関係改善のみならず、一般家庭での親子関係の修復にも役立つでしょう。

私は児童精神科医としてPTA会などのお招きで講演をすることもありますが、その際には必ず社会的養護のことや児童福祉法に子どもの権利が入ったことなどをお伝えすると同時に、フォスタリングチェンジの「アテンディング(付き添う)」という、子どものリードに従って10分間一緒に遊びながら子どもに肯定的注目を与え続けるというスキルを紹介しています。里親さんの下にある子どもにも好評なスキルです。

◇乳児院を再編しパーマネンシーチームを創設

―「新たな社会的養育の在り方に関する検討会」など、国の検討会でも里親支援の部分で積極的にご提言をなさっていますね。

検討会では、フォスタリング機関がどうあるべきか、そして乳児院や児童養護施設の多機能化・機能転換、高機能化にあたる部分を中心に資料を提出させていただきました。なかでも、イギリスの子どものためのチャリティであるバーナードス元代表(CEO)のロジャー・シングルトン卿のヒアリングを実施していただけたことは大きかったと思います。

シングルトン卿は70年代に施設中心であったイギリスの社会的養護を改革された方で、そのプロセスをすべてご経験なさっています。かつて多くの施設を運営していたバーナードスは、日本の施設関係者もお手本にしてきた存在ですので、その改革についてのプロセスは、現在施設を運営されている方にとっても説得力のあるお話であったと思います。

「施設から家庭への移行は乳幼児から始めるのがよい」「イギリスの経験からの示唆」など、貴重なご経験を踏まえた具体的なアドバイスいただくことができました。このヒアリングがあったことで、特に乳児院の多機能化や機能転換ということが具体的にイメージでき、新しい社会的養育ビジョンの中にもしっかりと位置付けられ、明記していただくことができたと思います。

 ―上鹿渡先生のこれからのご活動についてお聞かせください。

中心となるのは、国が提示した「家庭養育優先原則」に基づいた、乳児院の多機能化、機能転換に関する実践と検証です。そのパイロット・プロジェクトが長野県上田市にあるうえだみなみ乳児院での取り組みです。乳児院と県や市もまじえて話し合いを重ね、2016年6月より計画し実践展開しています。

これまで主に施設ケアを提供してきたうえだみなみ乳児院が、パーマネンシーチーム、フォスタリングチーム、施設ケアチームを再編し設置しました。フォスタリングチームは、フォスタリング機関にあたるもので、乳児院でリクルートや登録前研修等、アセスメントや委託後の支援等、里親養育支援に包括的に取り組みます。委託後の里親研修であるフォスタリングチェンジ・プログラムを実施するなどの先駆的な取り組みも他の児童養護施設と協働しておこなっています。

私が今後さらに注力したいのは、パーマネンシーチームの取り組みです。このチームは子どもが里親養育も、施設養育も受けずに済むよう、子どもとその家族を予防的に支援し、また、施設や里親での代替養育となった子どもを家庭に復帰させたり、また状況に応じて特別養子縁組につなげたりという役割を担います。その子にとって一番よい形でパーマネンシー保障、永続的な家庭につなげていくことを目的としています。

課題を抱える家庭、親子への支援もおこないます。その一つとして動いているのは妊娠葛藤相談です。思いがけない妊娠に戸惑っている方の相談に乗り、親子が一緒に暮らせるような支援や特別養子縁組の検討をします。パーマネンシーチームでは全国妊娠SOSネットワークと養子縁組団体ベアホープの助言・協力を得て展開しています。

こうした実践が進めば、将来的には乳児院の中でフォスタリング機関が本体機能となることもあり得ると思います。そのときは「乳児院」という名称も変わるかもしれません。ただし、多機能化や機能転換は、その施設の規模や地域の福祉資源との組み合わせによって異なります。うえだみなみ乳児院も機能転換まで進めることになるかどうか判りませんが、目的は機能転換そのものではなく、子どもにとっての最善の利益を保障することであり、施設の新たな機能・役割によってそれを実現できるようにすることです。

 ―まずは乳幼児から進めることが大切な理由は?

シングルトン卿もおっしゃっていましたが、本来は児童養護施設も含めた施設養護全体の多機能化や機能転換を進める必要がありますが、全体のシステム変革は検討することが多くて、進みにくい面があります。しかし、乳幼児であれば、「家庭養育を優先すべき」という方向性が世界的潮流にもなっており異論のないところだと思います。ですから、まずは乳幼児という“上流”から家庭養育を推し進めることで、全体にも波及効果が及んでくると考えています。また乳幼児の発達に施設ケアが及ぼす影響の大きさを考えれば、乳幼児への取り組みを優先するのは当然のことだと思います。

社会的養護に関わる方々は、「子どものために」という思いで一致しているはずです。その善意による取り組みが、当事者である子どもにとって最善の利益を保障できるように、理不尽なシステムによって、私が乳児院で出会ったあの姉弟を引き裂いたようなことを起こさないためにも、日本の社会的養護のシステムの再構築のために私ができることを続けていきたいと思っています。

新しい社会的養育ビジョン(厚生労働省)
https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-11901000-Koyoukintoujidoukateikyoku-Soumuka/0000173888.pdf

2019.05.07 更新

日本財団助成講座 フォスタリングソーシャルワーカー専門講座 in 立命館大学【NEW】

「育ての親という生き方」をささえる 里親支援のスペシャリストに

2016年6月の児童福祉法の改正、2017年8月の「新しい社会的養育ビジョン」など、社会的養護の子どもの家庭養育を促進するという目標が掲げられました。この政策を実効性あるものにする地域における条件づくりこそが大切です。

フォスタリングソーシャルワーカー専門講座では、今後の社会でより重要性を増す「子ども中心のフォスタリングソーシャルワーク」の先駆者・実践者になる、やる気のある人を広く募集します。

本講座では、対人援助分野で教育実績のある立命館大学(人間科学研究所社会的養育プロジェクト)が日本財団の助成を受け、8ヶ月の講座で社会福祉、家族療法、心理臨床、社会病理などを統合したと関連領域の知識と国内外の先進的な理念や実践を学び、人間理解力を身につけた思慮深く行動力のあるフォスタリングソーシャルワーカーを養成します。

講座について:
子どもを養育する里親を支援するパイオニアを育てる、日本発のフォスタリングソーシャルワーカー専門講座を開催します。

お申し込み、詳細はこちらから

学びが身につく、すぐ活かせる:
8ヶ月の講座は、インタラクティブな学習ができるグループワークと第一線で活躍する講師陣による講義の2部制。3日間の集中講義では、フォスタリングソーシャルワークの基礎をオーストラリアの里親支援機関キアセットのCEOから学べます!
希望者はオーストラリアへの視察旅行も可能(自己負担あり)。国内外の先進的な理念や実践を学んで、これからの里親支援を共に切り開いていきましょう!

対象者:
現在、里親支援に従事している方
現在、対人援助職に従事しており、近い未来に里親支援に 従事する予定がある方
受講者の学びを促進するため、すべての回に参加できるのみご応募ください。
一部分のみの受講は受け付けておりませんのでご了承願います。

カリキュラム:
レクチャー(各回1時間)
社会的養育の国際的な理念と家庭養育優先の原理
社会的養育と家庭養育の歴史と制度
社会的養育に関連する公的機関と民間機関
社会的養育に関連する法律
子どもの発達と社会的養育や保護の経験
子どものトラウマとアタッチメント
子どもの性的問題行動と性的搾取について
実親等への理解と協働の重要性
ライフストーリーワーク
家族理解(家族療法)
エビデンスやデータを現場で活用する方法
グループワーク(各回2時間30分)
多様性の理解
安全な養育
里親理解とチーム養育
自己覚知
ケース検討
関係性の病理(社会病理学)
アディクション
当事者から学ぶ
集中講義(3日間と2日間の2回開催)
ソーシャルワークの理念と実践
多様な文化とアイデンティティの理解
オーストラリアの先駆的な理念と実践

講師紹介:
中村 正(立命館大学教授 社会病理学/臨床社会学)
「育ての親という生き方」を広げていきたいと思います。それをサポートする仕事がさらに求められています。里親実践の経験とそこで育った当事者から学ぶ講座です。
子どもの育ちを地域に根ざして支援する社会的養育を保障していくことが今後の子育て支援の主流となっていきます。単に虐待への対応という狭い意味だけではなく、子どもの育ちについて社会が責任をもち、子どもを社会の主人公に育てあげていくエデュケーション(Education)とケア(Care)の統合(エデュ−ケア)を軸にして子育て文化を育んでいくための学びの場です。

Rob Ryan(キアセットオーストラリア CEO)
上鹿渡和宏 (早稲田大学教授 精神科医 子ども家庭福祉)
団士郎(立命館大学訪問教授、家族心理臨床/家族療法)
市川岳仁(三重ダルク代表 )
山本恒雄(愛育研究所客員研究員 児童福祉ソーシャルワーク)
山口修平(一宮学園副施設長 家庭支援専門相談員 治療的養育)
宮口智恵(チャイルドリソースセンター 親子関係再構築支援)
村本邦子(立命館大学 教授 臨床心理学/女性学)
石田賀奈子(立命館大学 准教授 ファミリーソーシャルワーク/家族再統合支援)
和田一郎(花園大学 教授 児童福祉論/エビデンスに基づく社会政策)

講座費用:
85,000円
いかなる理由でも一度入金された受講料は返金できません。
また、遅刻・欠席などの場合でも返金はできません。

講座会場:
立命館大学梅田キャンパス(大阪駅徒歩約5分)またはキャンパスプラザ(京都駅徒歩約7分)

定員:
20名

応募期限:
7月15日(月)
採用者には7月31日(水)までにメールにて通知を送付します。

集中講義(全2回):
第1回(2泊3日、3日間開催)
8月25日(日) 13:00~17:00
8月26日(月) 10:00~17:00
8月27日(火) 10:00~16:00
第2回(1泊3日、2日間開催)
2月15日(土) 13:00~17:00
2月16日(日) 10:00~16:00
通常講座(全11回)
第1回 9月14日(土) 13:00~17:00
第2回 9月15日(日) 13:00~17:00
第3回 10月5日(土) 13:00~17:00
第4回 10月19日(土) 13:00~17:00
第5回 11月2日(土) 13:00~17:00
第6回 11月16日(土) 13:00~17:00
第7回 12月8日(日) 13:00~17:00
第8回 12月15日(日) 13:00~17:00
第9回 1月12日(日) 13:00~17:00
第10回 1月25日(土) 13:00~17:00
第11回 2月1日(土) 13:00~17:00
通常講義は座学が1時間、グループワークが2時間30分の構成です。

最終講義及び修了式:
3月(日時未定)

2019.01.08 更新

奥山眞紀子先生インタビュー「ようやく子どもの世界にも革命が起こせた」

<シリーズ・児童福祉の新時代へ>
~社会的養護の歴史的転換「新しい社会的養育のビジョン」の実現へ向けて~

「ようやく子どもの世界にも革命が起こせた」

成育医療センター こころの診療部 統括部長/日本子ども虐待防止学会理事長
奥山眞紀子先生インタビュー

平成28年6月に改正された児童福祉法の大きなポイントは、子どもが権利の主体として位置づけられたことです。これは大きな視点の転換であり、「革命的」とも評される改正でした。翌年の平成29年8月には『新しい社会的養育のビジョン』が発表され、改正児童福祉法の具体的な実践に向けての方向性が示されました。この新ビジョンの中心執筆者である奥山眞紀子先生は、長年に渡り、小児精神科医として臨床の現場で親子に寄り添いつつ、アタッチメント等の研究、子どもの虐待問題にも取り組んでこられました。今回、改めて新ビジョンのご執筆に至る経緯、その中に込めた知見と思い、そして子どもの成長に責任を持つ私たち大人がどう考えて、どう行動していくことが大切なのか、お話をお聞きしました。

(聞き手/日本財団 国内事業開発チーム チームリーダー 高橋恵里子)

◇留学先のアメリカで児童虐待問題を学ぶ

――奥山先生が社会的養護のお子さんたちと関わりを持たれたのはいつ頃ですか?

1990年の始め頃からですね。大学生のころは心理的な分野を志していましたが、実家が小児科医だったこともあり、精神科ではなくまずは小児科に入りました。当時の日本は主に不登校が問題視されており、子ども虐待については大きく取り上げられることは少なかったです。その後、1986年にアメリカへ留学しましたが、あちらでは子ども虐待が大問題になっており、私が入ったボストンのタフツ大学付属病院でも、チャイルド・セクシャル・アビューズ(子どもへの性的虐待)の問題に取り組んでいました。最初はアメリカの問題と思ったのですが、関わるうちに、日本でも潜在的に起きているであろうと推察しました。

1990年に帰国して埼玉県立小児医療センター付属大宮小児保健センターに勤め始め、その翌年からは、大規模な児童養護施設内の小児科クリニックに勤務して、こころの診療を行うことになりました。そこは児童養護施設の職員さんとお子さんを対象に、午後のみ診療するクリニックです。このときから、社会的養護の子どもたちとの関わりが始まりました。
同じ頃、東京に子どもの虐待防止センターが設立され、そこで熱心に取り組んでいた先輩のからの誘いで、虐待防止センターの活動にも関わるようになりました。1年後には『埼玉子どもを虐待から守る会』を民間団体(現在はNPO法人)として立ち上げて、医療者としてアメリカで学んだことの啓発も含め、地域での虐待防止活動に取り組んできました。

――児童養護施設に併設されたクリニックでのお子さんたちのご様子はいかがでしたか?

児童養護施設に関わって驚いたのは、子どもたちの多くが虐待を受けて施設入所しており、対応が難しい精神状態であるにもかかわらず、職員さんたちが「普通の子」として扱おうとしていたことです。女性の職員さんの中には「この子の親になりたいけれど、そうしてあげられない」というジレンマを抱えている人もいましたし、「みんな平等に扱う、特別扱いはしない」という方針も見えました。
これはアプローチの仕方が違うのではないかと疑問に思いました。私としては、子どもたちの背景を踏まえた接し方、親ではなく養育のプロなることが大事だと思っていました。しかし、職員さんたちはプロとして研鑽を積むような余裕もなく、次から次へと入所する子のお世話で精一杯のようでした。当時は施設の小規模化の必要性も考えられていませんでしたし、とりあえず最低基準ギリギリで運営しているという状況だったと思います。そうしたなかで、施設内の子ども同士のセクシャルな問題も含めて問題は山積みでした。
職員が少しずつ増員されて、虐待対応ができる心理職、ファミリーソーシャルワーカーなどの専門的役割を担う職員も配置されるようになったのは、2000年を過ぎてからだったと思います。
私が特に気がかりだったのが、乳児院から引き続いて児童養護施設に入所するお子さんたちの様子です。現在の乳児院ではアタッチメント(愛着関係)を念頭に置いた接し方がなされているとは思いますが、当時の私が関わった施設では、幼児と特定の大人の「一対一の関係」は、ほとんど作られていませんでした。お風呂も食事も流れ作業のような状態でしたし、乳児院から赤ちゃんを連れてきた保育士さんに「担当のお子さん?」と訊いても「うちは担当制ではないです」と答えます。
そうなると、全員ではありませんが、まったくアタッチメント形成ができていないお子さんも出てくる。そうした子たちは、大きな困難を抱えていました。

――どのような困難さがあるのでしょうか?

アタッチメントが作られていないと、心から安心できる愛着対象と一緒にいることができる枠組み、その子にとっての「安全基地」がないため、無謀な行動をとってしまうのです。他人を求めるのですが、信頼できないというジレンマを抱え、周囲が不快になったりどうしてよいかわからない接し方しかできず、ぶつかることも多くなったり、自分をコントロールできずにかっとなると燃え上がってしまう傾向があったりします。

家庭に居れば、親子関係がたとえ不完全であったとしても、アタッチメント形成そのものはあるわけです。子どもを叩くのは良くありませんし、体罰はなくしていくべき大きな課題ですが、少なくとも育児をするなかで、一対一の関係性があって起きてくることです。私は虐待をする親のところに居るより施設に居た方がいいと思っていましたが、そうとは言えないケースもあると考えるようになりました。

アタッチメントについて継続して調査したミネソタ大学の研究では「unavailable mother(対応してくれない母)」という言い方がされていましたが、そのような子どものニーズに応えてくれない親に育てられた子どもの予後がもっとも悪いという結果だったのです。

◇精神医学の分野でもアタッチメントが主流に

――精神医学の分野でアタッチメントが重視されるようになったのはいつ頃ですか?

アタッチメントが国際的に主流になってきたのは90年代半ばからです。それまで精神医学の主流であった精神分析は、心の中を解釈するだけで実証はできませんでした。アタッチメントは実証的に捉えていくことができたため、研究者もそちらに流れる動きがあり、国際的にも重視されるようになりました。悲しい出来事として、チャウセスク孤児院問題があります。ルーマニアのチャウセスク政権下で「産めよ増やせよ」計画があり、その結果家庭で養育しきれない子どもが大勢出て、ストリートチルドレンや劣悪な孤児院の増加があり、多くの放置された子どもたちがいたことに、チャウセスク政権が倒れてルーマニアに入った西側の国々の人々が気づきました。その子どもたちの状態は、高度のアタッチメント障害で、1960年代に実験がなされた隔離猿(餌だけ与えて関係性をはく奪して育てたサル)と同じような状態だったのです。初期には国際養子縁組などが行われましたが、その後、現地で良い養育を行えるように、「ブカレスト早期介入計画(Bucharest Early Intervention Project: BEIP)」がなされ、施設より家庭が良いことが実証されました。

それらの影響もあり、低年齢の子どもには一対一の人間関係を築ける家庭が必要であることが常識となっていったのです。10年以上前の国際子ども虐待防止学会(ISPCAN)で、アタッチメントの話題の際に、質問するつもりで、「日本にはベビーホームがあって…」という話を始めると、「それは、あってはいけない」と、一蹴されてしまいました。

日本では、被虐待児のトラウマの研究家でもある西澤哲先生(山梨県立大学教授)とも協働する中で虐待を受けた子どもは「トラウマとアタッチメントの両方が問題だ」という議論をしたものです。また、日本総合愛育研究(現日本子ども家庭総合研究所)にいらした里親養育の識者である故・庄司順一先生とも「一対一の関わりができない養育は不適切である」と話し合いました。社会事業大学長でいらした故・髙橋重宏先生や90年代の半ばに厚生省の児童福祉専門官であった故・栃尾勲さん、みなさんお亡くなりになってしまいましたが、今でも覚えているのは、既に1990年代の半ばに「子どもたちはすべて施設ではなく里親養育に移行すべき」とその3人がおっしゃっていたことです。「日本でそんなことができるの?」と問う私に口を揃えて「やるんだよ」とのことでした。

私自身は、アメリカ留学時代に里親の困難さも目の当たりにしていました。当時はもっとも酷い時期で、虐待を受けた子どもは実親と離されて里親に預けられ、その里親家庭で年長の里子からの虐待が起きていました。複数の里親をたらい回しにされる「フォスター・ドリフト」も問題視されていました。アメリカはこの後、パーマンネンシー(永続的なつながり)を重要視して、養子縁組の方にシフトしていくことになりましたが。

とはいえ、日本に帰国して施設の状況がわかると、決して施設の方がいいとは思えません。「どうにかしなくては、でもどうすればいいのかわからない」という思いを抱えながらも、小児精神科の医師として親子の診療の現場で、施設で育ってお母さんになった方と、患者と医師としてお会いすることがあると、やはり家庭で育つことの重要性を突き付けられるのです。

――そこから家庭養護の方向に向かっていかれたのですか?

90年代から虐待の問題にかかわってきた私たち虐待対応第一世代にとっては、2000年に児童虐待の防止等に関する法律(以下、防止法)が施行されたことは大きな進展でした。防止法の附則に3年後の見直しがあったことから、厚労省で対応する委員会が立ち上がりました。その中でも社会的養護の委員会は、その見直し後も継続されることになりました。

そのときすでに、「施設の小規模・地域分散化、里親養育を中心にして施設本体はそのサポートに回るべきである」という構図は描かれていました。この時点で、現在の新ビジョンの方向性はできていたとも言えます。

並行して、国際的な家庭養護への流れもありました。イギリスや大陸の方は、ややゆったりと施設から家庭へと移行していったのですが、アメリカでは施設ではだめだとして、一気に里親に移行した。それはそれで、先ほど述べたような里親ドリフトが増えるなどの問題もありました。アメリカでは1997年に「Adoption and Safe Families Act」という法律ができ、親子の再統合を目指しつつ、養子縁組も検討するなどの、子どものパーマネンシーを最優先させる動きになりました。

ただし、日本では家庭養護へ大きくシフトする流れは起きなかったことが、先ほど申したような国際的な場で批判を受けることにもなりました。

◇2016年児童福祉法改正から「新ビジョン」へ

――改正児童福祉法につながる専門委員会から、奥山先生は関わってこられました。新ビジョンのとりまとめに至るまではどのような流れだったのですか?

2015年の9月に『新たな子ども家庭福祉に関する専門委員会』ができて、当時の塩崎泰久厚労大臣が「虐待問題も大きくなり、子どもと家庭をめぐる状況も多様化、複雑化している。子どものためには何としても児童福祉法の抜本改正が必要だと思う。この委員会で方向性を示ししてほしい」と、おっしゃったのです。

委員会のコアメンバーでたたき台を作り、グループごとにディスカッションし、12月までに方向性を示し、3月に報告書が出て、法案が国会に提出されて5月に国会を通りました。この間はとても密度の濃い期間でしたね。

※日本財団も児童福祉法改正にあたっては、乳幼児は原則家庭養護とすることと、特別養子縁組を推進することを盛り込んでほしいとオンラインで署名を呼びかけました。結果として1万7千人の署名が集まり、それを塩崎前厚生労働大臣にお届けしました。

その後、児童福祉法改正により、政治的なところでの区切りがついたと思っておりましたら、再び塩崎先生が国会でお約束をした、『新たな社会的養育の在り方に関する検討会』という、新ビジョンに至る検討会を構成するということでお声がかかりました。単に法律の条文があるだけでは、現場がどう動いてよいのかわかりませんから、法律改正の考え方を理念化し、具体的にどのように運用していくかというテキストが求められたのです。

全体をまとめるこの検討会以外に、『司法関与』と『特別養子縁組』の検討会、そして『子ども家庭福祉人材の専門性確保』と『市区町村の支援業務のあり方について』のワーキンググループが進められました。

私は法改正が終わった後に、ビジョンの検討会が始まったことで、塩崎先生は我々子どもの専門家以上に「子どものために変える」という信念をお持ちだということが伝わり、心打たれました。また「改革のためにはここが重要だ」というポイントを捉えてのご発言と行動には敬服しています。

さらに申せば、識者の声、現場の声もお聞きになりつつ、「それが本当に子どもに向き合っていることなのか、子どものためになるはどうすればいいか」を第一義的に考えていらっしゃる。「当事者は誰なのか、それは子どもである」ところに立脚し、常にそこから離れない姿勢。いま振り返ると、私が申し上げるのはおこがましいかもしれませんが、「子どものために」という意味で働かせていただいた「同志」のような気がしています。

2018年9月の日本財団主催シンポジウム「全ての子に愛ある家庭を」で登壇する奥山先生

ようやく「子どもの権利」を明確に記せた

――新ビジョンのとりまとめを果たされたときの、奥山先生の言葉が印象に残っています。

「ようやく子どもの世界にも革命が起こせた」と申しましたね。「革命」とは、子どもが守られる立場ではなく、「子どもが権利の主体である」こと、つまり子どもそのものに権利があることを明確化したことを指しています。

フランス革命に始まる市民革命は、市民が権利を得るための革命でした。大人は自分で権利を獲得できますが、子どもが権利の主体であることを明確にするためには、認識も含めて大人が変わり、大人が変えなくてはならないのです。

日本が『子どもの権利条約』に批准したのは1994年でした。しかし、それを担保する法律はできなかった。2000年に虐待防止法に関わったときも、私は「権利」という言葉を入れて欲しかったけど叶いませんでした。ようやく、子どもの権利を法律に記すことができました。

――日本では「子どもの権利」ということ自体が伝わりにくいのかもしれません。

そもそもの権利意識がなじまないのでしょうね。歴史を振り返っても、日本には市民革命が起きていません。上から与えられたものばかりです。市民革命を通ってきた国は、「自分たちが勝ち取った権利なのだから、大切にする」という意識があります。

新ビジョンでも、「日本に住む子どもは、どこに住んでも同じ権利を持っている。それを保証するためにすべての地域で実行する必要がある」ことを訴えていますが、行政では「地域の実情に応じて」という話になってきます。それでは、ごまかしではないでしょうか。住むところが違うだけで、権利が保障されないことはあってはならないのです。

そもそも、弱者の権利を考えたとき、日本では女性の権利の保障ですらおぼつかない。言いだしたら切りがありませんが、いずれにしろ、子どもに権利があるのだということ、権利をないがしろにしたり、ただ大人本位でかわいがったりするのではなく、権利の主体であることを認識することが大事。その中に、「家庭で育つ権利」もあるのです。

『新ビジョン』が発表されたときには、7年以内に就学前の子どもの里親委託率を75%以上にするなどの数値目標が取りざたされましたが、子どもの権利が根底にあっての里親委託なのです。数値目標についても、やはり目標がないと進みませんから、掲げる必要はあるのです。

――家庭養育への流れについては、日本はガラパゴスであったと評する方もいらっしゃいますが。実際に福岡市では、赤ちゃんの里親にターゲットを絞って民間機関と連携したリクルートを行い、3歳未満の里親委託率はすでに50%を超えていますね。

そういう意味では、ガラパゴスだったのでしょう。ただし、後発隊の良さがあります。他国は何年もかけてそこに辿りついたわけです。不要な迷走をせずとも、海外の事例を参考にしながら、日本にとってより良い形を作ることができます。例えば、一気に施設を開放し、「フォスターケア(里親養育)へ」と動いてしまうと、非常に混乱してしまいます。そこは海外の経験を踏まえて、フォスタリング機関をきちんと作り、そこを中心にチームケアができるような形にしていくことができます。

◇社会的養育とは「育児の社会化」を示している

――新ビジョンは「社会的養育」という言葉が表題にもなっていますが、これが意味するところは?

法改正から新ビジョンに至るまでの流れは、狭義の「社会的養護」を発端としていますが、ここを解決しようと目指すとき、広い意味で「日本の養育をどうしていくのか」という視座が必要になったのです。

本来、子どもの養育は家の中だけでなく、社会が子どもを育てるのだという「育児の社会化」が必要だということは、以前から言われ続けてきました。その点では、「介護の社会化」はある程度できてきて、かつては家の中だけでしていた介護を、社会で介護をする方向になりました。

一方、育児はその負担も責任もすべて家庭の中に背負わせています。とはいえ、現実社会の方は必要性に迫られて一部は進んでいます。保育園、がそうです。昔は「保育に欠ける家のため」の保育園でしたが、今では一般のご家庭が保育園に預けていますよね。

社会的養護の問題を解決するためには、日本が「社会全体でより良い養育をする」というポピュレーションアプローチ(全体としてリスクを下げていくという健康保健分野の考え方)が必要で、それは「社会的養育」と呼ぶべきでしょう、ということになりました。

それはつまり、保育園も社会的養育であるし、地域の子育て支援も社会的養育であるし、なかでも困難な養育環境にあるご家庭には、社会が強くサポートする「社会的養護」も社会的養育の中の一つである、という位置づけです。

この概念整理のなかで「社会的養護」には、親と分離する必要のあるお子さんが、里親や施設で育つ「代替養育」と、実家庭にいながら社会が子育てを強くサポートする「在宅措置」があるということも新ビジョンのなかで示しています。厳密に言えば、社会的養護の定義は在宅措置を含むことを強調する形に変わったのです。

――つまり、『新ビジョン』は特定の困難を抱えた家族だけでなく、多くの子育て世代に伝えたいことなのですね。

本来はそうあって欲しいのです。家で子どもをみている家庭への支援、妊婦さんへの支援も必要であって、その一部として社会が強い責任持たなくてはいけないグループが、「社会的養護」である、ということです。

イギリスにおける『インケア』という考え方に近い。最終的に自立支援を考えたときに、インケアという考え方をしておけば、自立支援は現在施設にいる子どもの支援だけでなく、家庭での在宅措置で福祉司指導を受けたお子さんたちの自立支援も考える必要があります。その部分も社会の責任として担っていこう、ということです。

◇民間と行政が一緒に「子育ての地域づくり」を

――社会的養育を良いものにしていくためには、どのような地域社会が、個々人の意識が必要ですか?

子どもにやさしい社会、子どもにやさしい地域は、誰にとってもやさしい地域ではないでしょうか。それぞれの地域の中で、子どもが大切にされるような取り組みがあることが大事だと思います。そのためには、民間も行政も一緒なって、地域づくりに取り組んで欲しいです。

前述の市町村のワーキングの中で提示された、「子ども家庭総合支援拠点設置要綱」や大改訂された「市区町村子ども家庭支援指針」には具体的に支援の在り方が提示されていますし、地域づくりの重要性も記載されています。支援拠点を作り、そこが中心になって地域づくりをして、子ども家庭をサポートできるようにする。それこそ、各地域にすでにある保育施設などの社会資源と地続きで、工夫して作っていってくださるといいと思います。

――最後に、奥山先生がこれから取り組みたいことをお聞かせください。

これからも子どもたちにつきあっていく、ということですね。近年の児童精神科では、ともすれば「症状だけから診断して、投薬治療をする」ことが中心となっている傾向があります。私は、親御さんやお子さんと対話をしながら、その子の一生のことを考えながら、寄り添っていくような治療をしていきたいと思っています。医療者として、家庭の問題や親子関係の問題などにもコミットしながら、その知見を踏まえて、地域で困っている方々とも関わっていければと思います。

私の関係する地域でも新しく児童相談所を作る計画がスタートしており、そこでも話し合いに参加します。『新ビジョン』を世に出した一人として全体を見守りつつ、地域の一員としてもサポートをしていくつもりです。

――まだまだご活躍ください。本日は貴重なお話をありがとうございました。

新しい社会的養育ビジョン(厚生労働省)
https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-11901000-Koyoukintoujidoukateikyoku-Soumuka/0000173888.pdf
子どもの権利条約について(ユニセフ)
https://www.unicef.or.jp/kodomo/kenri/syo1-8.htm