日本・海外でのインタビュー

2017.04.12 更新

よ~しの日2017トークインタビュー その② 家族は日々時間を共に過ごしながら作り上げていくもの 川嶋あい

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家族は日々時間を共に過ごしながら作り上げていくもの

よ~しの日2017トークインタビュー その①

 福祉こそ分かりやすいデザインによる情報発信が必要

――各家庭だけの問題ではなく、社会的な構造の問題であると。養子縁組が日本で広がらないことを田北さんはどのようにお考えですか。

田北さん いろいろな問題があると思いますが、血がつながっている人が家族なのだという家族観が日本では大きいのだと思います。社会保障も家族になれば、税金が優遇されます。公的に家族になることが推し進められていますし。そこから少し外れて、もっと多様な家族で暮らそうとすると、なかなか暮らしにくいという現状が日本にはあります。

九州大学講師 田北雅裕さん

――田北さんは福岡で子どもの福祉に関する取り組みをなさっているそうですが。

田北さん 私はデザインが専門で、福祉とは直接つながっていませんでしたが、今は里親を増やすための活動に協力しています。これまで福祉の分野にデザインをよくするという考えは行き渡っていませんでした。商業施設等は見やすいホームページがあります。しかし、児童相談所などのホームページはうまくデザインされていないことが多いのです。すると、相談したい人がなんとか児童相談所のホームページにたどり着いても、その人が理解できるように表現されていないと、情報から離れてしまいます。子どもの福祉の領域にこそ、相手に伝わりやすい丁寧なデザインが必要です。
福岡市の児童相談所のホームページは、クラウドファンディングというインターネット上で寄付を集めるシステムを利用し、その資金でこちらがデザインし、利用しやすく作ったものを市役所に寄付をする、というプロセスで作られました。児童相談所には里親の情報を広める役割も担っていますから、デザイン性を高めることが、その役割を果たすことになるのです。福岡では10年ほど前から、児童相談所、NPO、大学、弁護士会などがネットワーク組織を作り、そこで意見交換をしながら里親啓発に取り組んでいます。その成果もあって、里親の委託率の伸び率は全国1位になりました。

田北さんが制作に関わった「福岡市こども総合相談センター えがお館」

――福岡市のホームページはとても分かりやすく作られていますね。相談者の立場に立ったケアの一つだと感じます。制度を利用された佐々木さんは、いかがでしたか?

佐々木さん 私が養子縁組を調べ出した10年ほど前は情報が少なく、インターネットにポツポツと上がっている情報を必死で探しました。あとは書籍を買って読んだり。今は養子縁組や里親の情報はインターネット上にたくさんあると思いますが、それでも、「見つけられなかった」というお声は聞きます。誰でも手に取れるところまでまだ届いていないのかもしれません。また、予期しない妊娠に悩む方が、相談機関などの情報にたどり着くのも難しい面があります。操作ができない、難しい字を読めないという方もいらっしゃいますので、そういう方にもわかりやすく情報を届けることはとても大切だと思います。

――養子縁組の仲介は、児童相談所だけでなく民間団体も行っています。佐々木さんの場合は、民間団体のサポートを利用なさったのですよね?

佐々木さん はい、最初は児童相談所で里親のことを聞いたり、研修を受けたりしましたが、養育里親という制度は、育てた子どもが実親に戻ることもあります。私は家族になってずっと一緒に暮らすことを望んでいましたので、特別養子縁組をしてくれる民間団体を選びました。ただ、児童相談所でも養子縁組里親という形もあります。

――調べれば、しかるべき制度もあるし、情報にもたどり着けるのですね。

佐々木さん そうです。ただ、一人でたどり着くのは大変だと思いますので、「日本財団ハッピーゆりかごプロジェクト」のような、まとまった情報があるホームページをご覧になるといいと思います。

家族は日々時間を共に過ごしながら作り上げていくもの

――佐々木さんがお子さんを養子としてお迎えになった経緯について教えていただけますか?

佐々木さん 私は20代前半で月経が止まってしまい、以来、子どもを産めないのではないかという不安を抱えていました。縁あって夫と結婚し、不妊治療を始めましたが、30代の前半には排卵がまったくないことが判り、出産は難しいとお医者さんから診断されました。本当につらくて、しばらくは暗いトンネルの中を歩いているような気持ちで過ごしました。でも、子どものことを夫と話し合う中で、血のつながりのあるなしは、私にとっては一番重要なことでは無い、血のつながりがなくても、我が子として子どもを迎えたいと思いました。

特別養子縁組で子育て中 佐々木啓子さん

――パートナーや周囲の方々のご理解を得るとき、難しいことはありましたか?

佐々木さん 家族は夫婦二人で協力していくことが大切だと思いますので、「こんなことを聞いたけどどう思う?」と、密に相談をしながら、慎重に進めていきました。もともと夫は「二人でも幸せだよ」と言ってくれていたのですが、私の方に強く子どもを迎えたいという気持ちがありましたから。夫や他の身内に対して、私に何かあっても、子どもがこの家で育てられるようにという思いで、周囲にしっかり理解をしてもらえるように話し合いました。

――民間団体のサポートを利用されて、6歳、4歳、1歳のお子さんとの暮らしはいかがですか?

佐々木さん 迎えてからは普通の子育てと一緒で、小さい頃は、毎日3時間おきにミルクをあげたり、大人のいうことは聞かないのに困ったり、毎日ひっちゃかめっちゃかになりながら、暮らしています。

――川嶋あいさんはご自身が養子であることをたまたま知ってしまったということでした。佐々木さんのどのようになさるおつもりですか?

佐々木さん 一番上の息子が1歳半位の時から、「あなたには産んだ人がいるんだよ」と語りかけて育てました。今も「産んだ人がいて、でも私たちはずっとあなたたちと家族だし、ずっと大好きだよ」と繰り返し伝えています。真ん中の子にも同じように伝えています。子どもたちは「周りの一緒に過ごしているお友達たちは、産んだお母さんが育てているけど、私たちには産んだ人がいて、でも私たちが家族なんだよね、ここがお家なんだよね」という理解はできています。今後は少しずつ、生みの女性の情報なども、うちはお写真をいただいているのですが、「見てみたい?」とか、聞きながら、会話をしながら、伝えています。

――やはり、お母さんになって、家族になって良かったですか?

佐々木さん そうですね、「子どもを迎えたから家族になれた」というよりは、家族は一緒に日々時間を共に過ごして、築いていくものなのかなと感じています。そうした意味で、いまこうして家族を一緒に作っている、ということは本当に幸せなことなのだなと思っています。

 育ての親がしっかり受け取ってくれた「命のバトン」

――私自身も理解が深まってきました。川嶋あいさん、「愛」というお名前は生みの親御さんがつけてくれたお名前だそうですね。

川嶋さん 育ての母が亡くなった後に、区役所に行ったり、児童養護施設を訪ねて先生にお話を伺ったりして判りました。生みの母のことは、親友だったという方までたどり着くことができました。その方にお会いして、私を身ごもっていた時に、親友に宛てて書いた手紙を見せていただきました。「名前は“愛”にしようと思う」と、書いてありました。たくさんの人に愛されるように愛という名前がいいと思うと、親友にも話していたということです。私は自分の名前が持つ意味を改めて考えるようになりました。
生みの母とは別れてしまいましたが、「命のバトン」を育てのお父さんとお母さんがしっかり受け取ってくれた。「私たちがこの子を育てますね」と受け取ってくれたのだと思います。今、その両親もこの世にはいません。でも、母と夢見た音楽の道を歩むべく、路上ライブで歌い始めたとき、支えてくれる仲間と出会うことができました。本当に、今も家族のような存在として私と共に歩んでくれています。生い立ちだけを語れば、厳しい人生を想像なさるかもしれませんが、私は何ひとつ不幸だったことはなく、大きな愛情に支えられて生きることができたのです。
これまで、養子縁組については、子どもとしての目線でしか語ることはできませんでしたが、今日は佐々木さんの養親としてのお話しを聞き、母がどんな気持ちでいたのか、思いを馳せました。佐々木さんは、子どもが産めないと判ったとき、養子を迎えようと思ったとき、ものすごい勇気を出して、いろいろなことを調べて、児童相談所や民間団体を訪ねて、お子さんを3人も迎えられました。一人ひとりの子とどう向き合って行こうかと、いろいろなことを考えていらっしゃる。私の母も、同じように我が子との出会いを求め、迎え入れた私とどう向き合うか、うまくやっていけるだろうかと、いろいろな不安もあったと思います。
でも、私たちは、気づいたら乗り越えられていた。家族って、最初からできているわけではなく、自分たちで作っていくものなのだと。血のつながりがあってもなくても、それは変わらないこと。一般のご家庭のお父さんお母さんもたぶん、この子をちゃんと育てられるかなと、不安もありながら育てていらっしゃる。それぞれの家族で、親も子もお互いに成長して一緒に生きていくと思うのです。そうやって、一つ一つの家族が作られていくのかなと、そう思いました。

よ~しの日2017トークインタビュー その③