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2017.04.12 更新

よ~しの日2017トークインタビュー その① 不思議なほど、とてつもない愛情をもらった 川嶋あい【NEW】

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不思議なほど、とてつもない愛情をもらった

4月4日の「養子の日」を前にした4月2日、日本財団にて特別養子縁組に関するトーク&川嶋あいさんライブが開催されました。ご自身も養子として育てられた川嶋あいさんからは、「私は母の大きな愛情を受けて育った。血のつながりのあるなしは関係ない」「養子の日のような子どものためのイベントは大切」など力強い言葉をいただきました。司会はJ-WAVEナビゲーターの丹羽順子さん、登壇者は川嶋さんのほかに、子どもを取り巻く社会的課題の解決を「まちづくりとデザイン」という視点で捉えている九州大学講師の田北雅裕さん、特別養子縁組で3人のお子さんを迎えて子育て真っ最中の佐々木啓子さん、そして日本財団福祉特別チームのチームリーダー高橋恵里子からは、最新の養子縁組家庭のアンケート調査結果も報告されました。トークセッションのテキストレポートをお届けします。

事実を知った日「でもね、愛はお母さんの本当の娘やけんね」

――司会の丹羽順子です。私は欧米でも長く暮らしましたが、周囲にも養子のお子さんがたくさんいらして、それが当たり前でした。娘の大親友も養子として育てられた素敵な女の子です。ところが、帰国すると日本ではなかなかそういうご家庭に出会いません。もっと愛あふれる家庭に迎えられるお子さんが増えたらいいと日ごろから思っていました。今日は皆さまの一緒に学ばせていただくことを楽しみにしています。
まず川嶋あいさん、産まれてすぐに福岡の乳児院へ、その後は児童養護施設でお育ちになったそうですね。

川嶋さん 2歳まで乳児院で育ち、2歳半くらいから児童養護施設に移ったと聞いています。その施設には、父と母が週に1~2回、会いに来てくれていました。私は「この人たちが私のお父さんとお母さんなのだろう」「いつになったらお家に帰れるのかな」と思いながら施設で過ごしていました。3歳すぎてから、川嶋家に引き取られたときは、「やっとお家で生活できるんだな」という感覚でした。それから12~13歳くらいまで、私の両親はこの人たちだと何の疑いもなく信じ、家族三人で暮らしていました。その後、10歳の時に父が亡くなり、母は女手一つで私を育ててくれました。
12~13歳のころに、母に頼まれて開けた金庫の中に、私の出生について書かれた書類を見つけました。私の名前の欄があり、母親という欄に、別の人の名前がありました。全身に衝撃が走りました。その震える思いのまま母に「これは、どういうこと?」と訊くと、母はとても悲しい表情、「見てしまったか」という表情をして、「これはね…」と、私には生みの親がいるという話をし始めたのです。しかし、母と亡くなった父が両親だと信じてきた私には、その話はとても受け入れられませんでした。それでも母は最後に「でもね、愛はお母さんの本当の娘やけんね」と、きっぱり言ってくれました。そのときは「でも……」という複雑な気持ちでしたが、最後の言葉は私の強く心に残り、後になって、私の宝物になりました。
衝撃ではありましたが、徐々にこの事実を受け入れ、「血のつながりはないかもしれんけど、お母さんは私の中でたった一人。やっぱり、この人が私の母親だ」という気持ちになっていくことができました。

愛する思いがあれば、血のつながりはどこかに行ってしまう

――お母様の愛情が本当に伝わったのですね。

川嶋さん 母は愛情のかけ方がすごい人でした。引き取られてからすぐに私を音楽教室に通わせてくれました。泣き虫で人見知りの激しい子だった私を「歌で心を開かせよう」と思って。私が歌っている姿を、誰よりも喜んでくれたのが母でした。「愛は歌手になるけんね」と、日々言われて育つうち、「そうか、私は歌手になるんだ」という気持ちが自然に生まれてきました。発表会に出たり、東京に行ったり、いつしか私が歌手になることが、母娘二人のたった一つの夢になっていきました。私の一番近くで愛情を込めて育ててくれている母が、私の「歌」に情熱のすべてを注いでくれたからこそ、いつしか私自身の夢になり、ここまでくることができたのだと思います。父が亡くなり、お金に苦労し始めても、借金してまでも、音楽教室に通わせてくれたり、高校も東京に行かせてくれたり。いろいろなものを犠牲にしてまで、なぜそんなにしてくれたのか、訊いてみたかった。それくらい、不思議なほど、とてつもない愛情で育ててもらいました。

シンガーソングライター 川嶋あいさん

――育ての親でも、愛情の差はないのですね。

川嶋さん 人を思う気持ち、愛する思いさえあれば、血のつながりとか、どこかに行ってしまいます。そんなことを問題にしなくなると思いますね。

――お父さまに続き、最愛のお母さまもお亡くなりになられました。

川嶋さん 15歳で上京し、母は福岡で私の歌手になる姿を待っていました。16歳の時に、路上ライブを始めて、少しずつ夢に近づいて、これからもしかしたらデビューできるかもしれないという矢先に、母は亡くなりました。私はその半年後にデビュー。結局、歌っている姿を見せられないまま、亡くなってしまったのです。それは本当に、いまでも心残りです。「人を愛するということ」と「夢に向かってひたすらがんばっていく」ということを教えてくれたのはまぎれもなく母で、この人が居なかったら、私はどうしていたのだろうか、ずっと施設にいてどんな風に過ごしていたのだろう、といろいろな思いが湧き上がることがあります。

――佐々木さんは3人のお子さんを迎えて、これから社会に飛び出していくお子さんたちを育てています。あいさんのお話を聞かれていかがですか?

佐々木さん 13歳で事実をお知りになったのは、ショックだったと思います。でも「お母さんの本当の子どもだよ」という言葉をあいさんが信じることができたのは、本当に良かったですよね。それは、お母さんが言葉だけでなく、たくさんのものを親として注ぎ込んでいたから、言葉ではないところで、伝わっていたのではないでしょうか。

家族をつくる特別養子縁組が日本では広まらない

――高橋さん、生みの親が何らかの事情で子どもを育てることができないというケースは日本にどれくらいあるのでしょうか。

高橋 生みの親と暮らせない子どもを政府が責任をもって育てることを、社会的養護と言いますが、その子どもは現在4万6000人位です。85%の3万人が、乳児院や児童養護施設などの施設で暮らしています。里親さんの家庭で暮らしている子どもが約6000人、養子縁組する子どもは年間550人くらいです。

日本財団福祉特別チーム チームリーダー 高橋恵里子

――そうすると、特別養子縁組の制度で、マッチングをして、あいさんのように温かい家庭で育つお子さんは非常に少ないという実態があるのですね。

高橋 ヨーロッパやアメリカに比べると日本はまだ少ないです。いろいろな要因がありますが、日本では養子縁組という制度が子どもの福祉として捉えられて来なかったという面があります。あいさんは、お父様、お母様から愛情豊かに育てられたとおっしゃっていますが、「特別養子縁組は子どもに家庭を提供する児童福祉としての制度である」ということを社会全体に広げて、みんなで考えていけたらいいのではないかと思います。

――養子に限らず、子どもたちを取り巻く社会的問題は多く、私たち大人が地域や社会や国、全体でバックアップしなくてはならないと思います。田北さん、日本にはどのような課題がありますか?

田北さん 最近、児童相談所の方と一緒にお仕事をさせていただく機会があるのですが、6人に1人が貧困世帯という状況、児童相談所に寄せられる虐待の相談対応件数も10万件以上という現状があります。子どもを取り巻く環境が、困難を抱える状況に変わってきているということが明かになってきました。これらは、家族の問題、親の愛情不足の問題と考えられがちですが、社会全体の変化が大きいと思います。私が生まれた1975年頃の4人家族で母親は専業主婦という形から、今は共働きが多く、地域社会に子育てをサポートしてくれる人が少ない状況があります。こうした状況が子どもの困難をより一層、顕在化させている気がします。

よ~しの日2017トークインタビュー その②
よ~しの日2017トークインタビュー その③